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ふるさとはどこにある? マカピーな日々#0679

マカピーです。

マカピーは群馬で生まれ育ちましたから、ふるさとは「ぐんま」という事になります。

マカピー妻からは群馬の話題があると飛びつく度に、「アナタって本当に郷土愛が強いわね」と言われるのです。

どうも、生まれも育ちも生粋の川崎っ子(神奈川県)の彼女からすると、それほど郷土愛を感じることはないという事でした。

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では、フィリピンやイエメンで生まれた自分の3人の息子たちの「ふるさと」はどこになるのだろう?

彼らはマカピーの仕事で海外転勤族化していたので、数年ごとに任地を転々としながらそこの学校(英国学校またはインターナショナルスクール)で教育を受けていたのでした。

長男の場合は14歳前には、英国の寄宿校に入ってしまってから30歳を超えて妻子を持つまでになっているので、殆ど英国化している状況です。

彼の場合は決して群馬に対して、マカピーの持つ思い入れがあるはずもありません。じゃあどこなのかしら?

次男もバンクーバー冬季オリンピック開催前の2009年にカナダの大学に入学してからずっとカナダです。じゃあ彼の場合「ふるさと」ってどこかな?

三男は英国の大学院を終えるころ肩の脱臼が酷くなり帰国してから、国外脱出?前にCOVID-19の影響もあり日本で就職し、それまではヨルダンから帰国したマカピー達と一緒に住んでいたけれども、仕事場のある東京に出て暮らしている。

本当はドイツで働きたかったという、三男のふるさとってどこかしら?

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マカピーが学生だった頃は、いつも同じ学科の連中と集まれる不思議な場所がありました。

そこは本来、倉庫小屋のような場所でした。

それをいつのころから学科の「学園祭準備室」という位置づけにして、知らぬうちに学校が半分公認する?常設の「学園祭本部」を持つようになったのでした。

歴代の先輩たちが手を加え土間だった小屋の内部に床を張り、更にどこからか畳を入れて居住性が増し、布団や毛布も持ち込まれるともはや、立派な下宿並みレベルになりました。

当然ながら、夜になればそこに誰かが持ってきた安い酒で自然発生的な「コンパ」が始まるのです。

ここに来る連中だけでなく、学生の殆どは金欠病ですから、酒の肴はなぜかしらレタスにマヨネーズでした。

そこにウエムラの持ってきた「中島みゆき」さんのカセットテープがBGMとして繰り返し流れていたんです。

誰かが他の楽曲のカセットを持ってきて聞くのですが、それが持ち帰られるとウエムラの第2下宿と化してたこともあり、エンドレスに中島みゆきワールドが続くのでした。

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今でも『ホームにて』のフレーズを聞けば、一瞬にして当時の様子とそこに集まった連中の顔が浮かんできます。

ウエムラは奈良、サカタは和歌山、イトウは愛媛、イワイは福岡出身だったから学校のある東京から近い群馬出身のマカピーとは、東京に出てくる感覚はかなり違ったとおもいます。

夕暮れ時で近所の家々から夕餉の支度の気配がするころ、彼らが考える「ふるさと」はどんな感じだったのだろうか?

まだ友達もできない頃、ひとりでどうしようもないほど寂しくなって、家に帰りたくなった事ってあったはずだけど、まだ飛行機で帰省する学生は少なかった時代です。

帰りたいあの場所へ連れてってくれる空色の汽車に乗れたらって、ウエムラが繰り返し聞いていた中島みゆきの曲には、それぞれが持つ故郷への思いがこもっていたんです。

そして「走り続けたホームの果て」にある自分の故郷って、いつも何故か懐かしい場所だったけどそれほど簡単には帰れない場所だった。

あの頃は近かったはずの群馬ですが、いまいる南アからだと随分と遠くなってしまいました。

マカピーもフッと「水色の乗車券」が欲しくなる事ってありますね

マカピー息子たちは「ふるさと」をどういう風に考えているのか今度聞いていみようと思うのでした。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。「故郷は遠きにありて思うもの」

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