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ヤバ、全然分からない!マカピーな日々#0258

マカピーです。

マカピーはモンゴルで仕事をするつもりだったのでモンゴル語の学習を開始したのですがその仕事がゲットできなくて中断してしまったのでした。

その時のオンラインの学習ってのがこれでした。

正直なところ、キリル文字の発音もありなかなか学習が進みませんでした。そこでYoutubeなどで調べたり、「旅の指さし会話帳」モンゴル語を購入したのでした。

ところが、それまで聞いていたのと、「指さし」でカタカナ表示された発音とあまりの違いに驚いてしまいました。

結局モンゴルでの仕事をゲットできなくなりモンゴル語からも遠のいてしまいましたが、PCやスマホに入れたアイコンが気になって先日他の言語を試してみようと思ったのがマレーシア語でした。

そこで、トライアルは無料なので、かつて青年海外協力隊(JOCV)で派遣され2年間活動したマレーシアの言語、まだ少しは出来ると思っていたマレー語に挑戦することにしました!

結果は、・・・・・惨憺たるものでした。

全然分からないのです!

そりゃあ、長年以上も使ってなけりゃあ錆びるものですが、あまりにひどい。

まるで夢のお花畑の中から現実の木枯らし吹きすさぶ世界に引きずり出された感じ!と言っていいほどのショック。

しかし一方で清々した感じがありました。

なんでかな?

久々のマレー語、結構面白そうなんですね。もちろん基礎があるから続けると意味が分かりやすいというアドバンテージがあるのですけど。

動詞の使い方なども、現地風になってしまい、随分現代マレー語からかけ離れている事に気づかされました。

マカピーが2年間余り活動していたのは、首都クアラルンプールのあるマレーシア半島ではなくボルネオ島の北部にあるサバ州でした。

実はかつてそこの州都はジュッセルトンと呼ばれて英国と華僑系住民が細々と経済をにぎる程度で、マレー人はほとんど住んでいませんでした。

しかも布教活動でキリスト教化したカダザン族やバジャウ族(モスリム)系の地元民は、レーシア独立時に一緒になるつもりもなかったようです。

結果的に政治的にマレーシアに組み込まれてしまった歴史を持つので、地元民にとってはマレー語が連邦の強制的な教育制度の中の共通言語だったわけです。

マレー語も外国語として利用するので独特の訛りがあり「サバハン」語と半島系のマレー人からバカにされるのでした。

驚くことにJOCVの同期隊員でも派遣された場所でかなりマレー語が違うのです。ちなみにタイ国境に近い地域の地元民のマレー語は通訳が必要だったほど違ったのでした。

ちなみに13歳から英国に暮らす長男も「時々地方からの方が話しかけられても何を言っているのかチンプンカンプンのことがあるよ」と言っています。

マカピーが大好きな映画「フル・モンティ」ですが、映画の舞台シェフィールド近くで育った友人がこの映画の中での会話について「日本語の翻訳がどんな風になっているか分からないけど、地元だとニヤリとする言い回しがあるのよ。ロンドンの人には分からないのよねー」と笑ったのが思い出されます。

おそらく日本の共通語が時間をかけて周知され会話ができるようになった過程と同じように、マレーシアでも共通マレー語が話されている事でしょう。

言葉は生き物で、変化をするものとはわかっていますが、もうちょっと現代マレー語学習を続けてみようかしら、って思っています。

テリマ・カシ(ありがとう)ジュンパ・ラギ・ベソ(また会いましょう)

マカピーでした。

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