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日本人は地震のエキスパート?。 マカピーな日々#0082

マカピーです。

昨日の地震に関してネパールにいたころを思い出しました。

阪神淡路大震災発生(1995年ですから既に25年が経過しているのですね)もあって、ネパールでも、大きな地震に襲われると噂がありました。

そんなある日首都カトマンズで小さな有感地震があったのです。おそらく震度2くらいだったでしょうか。そうしたら地震に慣れていない欧米人の友達から電話がかかってきて「どうしたらいいの?」「日本人は地震のエキスパートだから教えてちょうだい」「今夜から車で寝泊まりしているのだ」

皆さんパニックになっていました。関西地方の被災地の様子を見れば怖くなるし、ネパールの建築物の脆弱さを考えれば無理もないと思えました。

ネパールの多くの建物にレンガが使われていますが、かなり焼きの甘い(低温度)のレンガで水を含むと泥に戻ってしまうのです。ほとんど日干し煉瓦に近いものです。

しかもレンガと併せた木造建築でも積み上げるばかりで柱が入っていなかったり、近代的なコンクリートのビルでも建築現場で、鉄筋の量や柱の細さを見るにつけ「ちょっと地震に耐えられそうもないなあ」と素人でもわかるほどなのでした。

マカピーは結局友達に「地震が起こるかどうか予知することは非常にむつかしい。明日起こるかも知れないけれど私たちが滞在している間に発生しないかもしれない」「出来ることは、まず大人がパニックにならない事」「揺れが来たら、家がゆがんでドアが開かなくなる可能性があるから開け放つこと」「揺れが収まるまで机の下などに隠れ落下物を防ぎ、慌てて外に出ない事。落下物、特に割れたガラスが降ってくる可能性があるのでむやみに外へ出ない」「キッチンなどの火を確実に消す。外に出るにも靴を履くなどしてケガをしないようにする」

そんなことを伝えたと思います。そして実際にネパールの地震が発生するのは20年経った2015年4月でした。

マカピーはその半年ほど前の2014年11月にカトマンズを訪問していたんです。かつて5年間すごした街並みが大きく変わっていました。ヒマラヤン・キングダムと呼ばれていた王国の王室が消えてしまっただけでなく、経済的にも大きな資本が入り、特に中国人観光客が増えてかつてのバックパッカーの宿としてお世話になったこともあるタメル地区はまるで中華街のようになっていました。

若者は垢ぬけて、英語を話す人も増えていましたが、何故だか町全体が昔よりも落ち着きが無くなった印象でした。それでもティハール(光の祭り)のころだったので久々のカトマンズをいろいろ歩き回りました。

ところが、カトマンズから北西77kmにあるゴルカを震源とする巨大地震が発生して様子が一変します。がけ崩れが各地で発生して道路は寸断。人口が集中していたカトマンズの街並みも揺れに耐えられず多くの建造物が崩壊しました。一時は物資の補給が途絶して皆さん相当苦労されていました。

マカピーはニュースの映像やYouTubeを見ていて慄然としました。かつて自分が訪問していた寺院や名所いた場所が一瞬のうちに土饅頭のようなありさまになってしまっていたからです。

ビンセンタワーと呼ばれる中央郵便局ちかくの尖塔は高さ60メートルを誇るランドマークだったのにそれも倒壊してしまいました。

この塔はかつて1934年の地震にも倒壊し再建されていますから約80年ぶりの大地震だったことになります。ヒマラヤ山脈はインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突してせりあがってできた地形と言われているので、日本と同じように大きな地震が発生するのです。

カトマンズ盆地にはかつて3つの王国がありカトマンズ、バドガオン(バクタプール)そしてパタンがありそれぞれが彫刻の美しい王宮を持っていたのですが今回の地震でかなり傷んでしまいました。

昨年、カトマンズに短期ながら訪れた際にかなり復旧している様子にホッとしました。それでもビンセンタワーが再度建造されることはあるのかしら?そんなことを思いながらタメルのなじみの道を歩いたマカピーです。

地震を知っていても、それだけではだめです。その知恵を活かして、生き残り、復活してこその知識だとマカピーは思います。

マカピーでした。








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