センチメンタル・ジャーニー マカピーな日々#0309
マカピーです。
カンボジアにいた頃の事です。
友人家族が遊びにきて夕食後に話をしていると、その日に市内を観光で回った時に妙な感覚に襲われたというのです。
その奥さんの父親はかつて首都プノンペンで医療技師として派遣されていたので幼いころこの地に来たことがあったそうです。しかしその事を思い出すことがなかったそうです。
ところがそこに立った時に「あ、あの時の自分がここにいたんだ!」とはっきりと感じたというのです。
そことはホワイト・ビルディングと呼ばれていたところでポルポト時代以前に会った住居ビルで、当時はモダンな作りだったのだと思います。
(数年前、再開発でとりこわされてしまって存在しません)
更に、カンボジアで過去にめぐりあった方がいました。
彼女の父親はカンボジアの地方農業センター長として活動していたのです。
彼女は一人でプノンペンに遊びにきて、マカピーが15年ほど前に仕事をした際にそのセンターを訪ねていたことを話したのでした。
「まあ、今回の目的はアンコール遺跡だから」と言っていた彼女でしたが、シェムリアップの宿からメールを送ってきました。
「どうしてもあのセンターへ行きたいので、タクシー運転手に分かるように場所を調べてほしい」と頼んできたのです。
マカピーは必死になってこのセンターの過去の資料を調べて、その位置を知らせると彼女はかつて自分が暮らしたことのある施設の前に立つことができ、更に偶然にも当時を知る人と片言の英語で話をすることが出来喜んでいました。
既に彼女のご両親は他界されていますが、マカピーは生前にお世話になっていますので、かつて家族で暮らした思い出の場所を案内できたことで、少しは恩返しがで来たような気持ちでした。
父:「かつて、ここに日本人が幾人もいた時期があるんだ」
子:「へー、何していたの?」
父:「農業センターで試験的な栽培をして周辺住民にその技術を教えていたんだ」
子:「良く知っているんだね」
父:「実はおとうさんはそこで働いていたんだ」
子:「なんだ、そうだったんだ。それで?」
父:「その日本人所長家族にお前と同じ年の女の子がいて、お前もよく遊んだことが有るんだよ」
子:「ウーン、よく覚えていないなあ」
父:「でもその後に、この国は政変が起きて日本人は帰国してしまい。この施設は強制収容所となり沢山の人が死に、その後軍事施設となったんだ。ほら落書きはベトナム語だろう」
子:「今は平和になったんだから、またその日本人が帰ってくるかな?」
父:「そうだな、きっとその娘さんあたりが遊びに来るかもしれないなあ」
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。現在過去未来と物語は続きます。
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