俺たちテンキン族!マカピーな日々#0092
マカピーです。
群馬の農家に生まれたマカピーはテレビを通じて不可解な単語に出会いました。
我が家にテレビが導入されたのはやはり先のオリンピックの頃(1964年)だったと思います。もちろん白黒でそれから10年ほどしてカラーテレビに変わったように覚えています。
テレビのニュースを見ていて、不思議に思ったことがありました。
その一つが「ハイカーでにぎわう行楽地」というフレーズ。
まずハイカーとは何ぞや?なぜあれほどの観光客がにぎわうのか?そしてどうして自分はあそこに行けないのか?
実家の農業、とくに養蚕は夏の期間忙しいので夏休みを利用して泊りがけで家族旅行をした記憶がありません。
忙しい合間を縫って、父親がトラックに幌をかけて行ったことはあります。もちろん春先の農繁期になる前だったと思います。
次に毎年繰り広げられた 「春闘」「ベア」「スト突入」「スト回避」。
分からないマカピーは父親に尋ねました。「春闘って何?何が問題なの?」「そうだなあ、あれはサラリーマンの問題なんだ。百姓には関係ない話さ」「お前も、将来サラリーマンになったらわかるだろう」「サラリーマンになるのか、自分は?」
その次に不思議に思ったのが「転勤族」と呼ばれる人種がいて日本各地を家族で転々としているらしいこと。
マカピーは、なぜ就職したらいろいろな土地に行かねばならないのか、それが分かりませんでした。すべてが自分の周囲の畑や田んぼのこと以外に分からなかったから、世の中は不思議だと思いました。
もっとも、次第に歴史など習うにしたがって、武士も平和な時代になると、給料だけやってゆけずに寺子屋で教えたり傘はりの内職で食べてゆかねばならなくなり、明治維新を迎えると農業以外に第2次産業、そしてサービス産業などが生まれてくると人口のかなりが「勤め人」となったから、マスコミも彼らの生活を取り扱うようになったのだと、少しずつ分かってきたのです。
それでも、田舎ではほとんど人の動きがなく、小学生の頃、同級生に東京の大田区から転校生が来たときはびっくりしました。名前が「太田」だったので大田区には太田姓が沢山いるのだ!と発見したような気になりました。
まあ、マカピーはその程度の少年だったんですね。
マカピーは東京の学校でも農業を習って将来は農業をやるものだとばかり思っていました。ところが、学生時代に一年休学して米国で酪農の実習をする機会があってから、歯車の回転が変わったようです。
海外で仕事をする事になり、結婚して海外赴任、子供が生まれ家族5人の生活が始まります。しかも滞在期間がまちまちながら最短1年最長5年間一つの国に暮らすライフスタイルが定着ようになり気が付けば人生の半分以上が海外生活となっていました。
そうです、マカピーはかつてマスコミが報じていた「転勤族」になっていたのです。
不思議だなあ。
子供の頃、たまに群馬の空を飛行機が飛ぶことがありました。遠くに爆音が聞こえるとうれしくてうれしくて、庭に飛び出て機体が見えるのを心待ちにしていました。
母が教えてくれた歌があります。
「高くのぼった飛行機が、西から東へ飛んで行く、わたしもちょいと乗りたいな、乗せてくれればうれしいな」
大人になったら、飛行機に乗って遠くの世界が見られるんだ。でも自分にそのチャンスはあるかなあ? そんな思いで銀色に光る機体を目で追っていたのだと思います。
1月9日に帰国してからコロナ禍で巣ごもりが長く続いています。
これほど長く日本に滞在していたことが無いので、そろそろ海外での仕事に戻りたいです。(noteを始められたのはよかったですが)
マカピーでした。
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