慣れるって怖い事 マカピーな日々#0739
マカピーです。
慣れるって怖い事だと、教えてくれたのは作家の三浦綾子さんでした。
マカピーは最初その言葉を知った時 「いったい何を言ってんだろう、この人は?」って思ったんです。
慣れてまずい事は、『上手の手から水が漏る』『猿も木から落ちる』的な事かと思ったらそうではありませんでした。
『怖いのは感謝に慣れてしまう事』なのだそうです。
本当にシンプルな事ですが、誰かに「感謝しています」と伝える。するとそれを受け取った人は「嬉しい」でしょう。
しかし、それが人気俳優さんであったり売れっ子タレントだったとします。「ありがとうございます。わざわざ遠くからこの公演においでいただき感謝します」と言いますが、段々それが営業トークになってしまうのは仕方のないことかもしれません。
だって、自分としては人生の中でこんなに挨拶するなんて思ってもいなかったからです。
本当は地元で支えてくれた友人、親兄弟がいたと思うのですがついつい後回しになってしまう日々。
無償の愛で育ててくれた両親に対しても、疎遠になり日々の健康管理について心配されると「分かっているよ、もう子供じゃないんだから。うん、もう忙しいから切るね」とそっけなくなってしまう。
マズイなあって心では感じています。
気持ちの中では、何とか埋め合わせをしたいと思うけど翌日からのスケジュールのなかでそうした気持ちも心の備忘録の中に埋没してしまう。
仕事がうまくゆかないときに限って、また母親から電話がかかってくると「おかあさん、疲れちゃったよ」って言いたいのに「この間電話したばかりだろう?忙しんだよ!ちゃんと食べているよ!大丈夫。ハイハイじゃあまたね」
自分はまだ両親に何もしてやれていない。
あんなに好きだった両親の事を、邪険にして後回しにしている。
親なんだから当然だろう!って。
それが、ある日結婚して、子供が生まれ親になった時に、「!!!」
愕然とする。
自分の両親は、今自分が赤ん坊を見ているように自分を見ていてくれたんだ!って分かったよ。
「おかあさん、おとうさん、これまで本当にありがとう。二人がどう僕を育ててくれたのかのかいまハッキリわかるよ。遅くなってごめん、いつもそう言いたかったのに別の事でごまかしてしまっていたんだ」
多かれ少なかれそんな経験は誰でもしているのかもしれません。
マカピーも無償の愛で育ててくれた人、お節介のように気遣ってくれた祖父母や近所の大人たちにもう一度感謝を伝えてみようと思う。
自分はやってもらって当然だけど、今度は自分がその立場になってもいいんだ。むしろ遅すぎたくらいだけど「改めるには遅すぎることはない」って言うからね。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。命のバトンタッチですよね
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