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自分探しの旅? マカピーな日々#0112

マカピーです。

前号でプラナリアのWikipedia情報を入れようとしたらうまく変換されずに文字列だけの奇妙なものになってしまいました。スミマセン

やっぱりフォロアーの沢山いる方の紙面づくりは参考になりますね。少しずつ習っているところです。

そうしたことを「努力」と人は言うらしいですが、マカピーも努力ってナニかなあ?って常々考えています。

目標に向かってそれが成就するように日々試行錯誤するのが努力でしょうか?

例えば就職活動で自分の希望する会社の面接を受けるために、市販される面接攻略本をたくさん読んで、質疑応答のシミュレーションを繰り返す事が「努力」になるのでしょうか?

マカピーは青年海外協力隊員(JOCV)としてマレーシアに行ってきました。もうずいぶん以前の事ですが、その受験は英語の英検やTOEICの得点とかで客観判断していなかったと思います。

それは英語圏の国に派遣される隊員が少なかったからだと思います。筆記問題でも語学問題は英語ではなくクイズ形式のようなものと科目別の問題が一冊にあり、そもそも要請数がないような業種の場合、その場で受験する職種を変更する事さえ自由でした。

めでたく書類選考試験と面接試験に合格すると、派遣前研修です。当時は3か月ほどの派遣前の語学を中心とする研修がありました。マカピーは長野県の駒ケ根市にある研修所でした。

研修はほとんど語学の時間に費やされるのですが、日本では英語、フランス語、スペイン語、中国語、ドイツ語あたりまでがメジャーで後は初めて聞くようなマイナーな言語ですから、辞書もほとんどない時代でした。

即戦力を養うために語学講師は必ずネイティブの先生がいました。マレイ人のハムザ先生がマカピーの語学先生でしたが、要請が多く研修生が多かったので補完的に協力隊OBで語学的に優れた方も講師陣として加わっていました。

学習能力も大卒直行で研修に入った人と長らく学校生活からブランクがある人との語学吸収能力には差がありますが、速成コースで鍛えると3か月経つうちにかなりのレベルに達するのは「努力」があったのだと思います。

とにかく単語が頭に入らないので夜の自習時間も含め消灯前まで無理やり覚えこませようと多くの研修生は半泣き状態だったのです。

とにかく及第点をとって出所しない限り、この苦しみ?が続くのですから。

最もマカピーの場合赴任国の現場に行ったとき自分が何もしゃべれないことにショックを受け、更に学校の先生に月謝を払って習ったほどでしたが、お知らせしたかったのは研修所でのSさんの事です。

Sさんはスリランカ派遣予定でしたが、現地語のシンハラ語のコースがなかったので英語クラスに編入されていたのです。でもSさんは過去にほとんど学校に行ったことがなかったのです。

マカピーと同じ年でしたが、農家での実習体験があった時に同じグループになり本人から子供の頃の話を聞いたことがあったのですが、それが本当だとするとかなりユニークな人です。

子供のころから悪ガキで私鉄の線路に大きな石を置いて急行電車を停めてしまった事、手の付けられないわるさをするので手足をしばられて体育用具室に放り込まれることがしばしば。中学生の頃はバイクを乗り回して、、、、とかなり荒れていたようです。

Sさんはそれでも、なんとか高校も卒業したのですが就職先がないので海上自衛隊に入隊し溶接の技術資格をとったので協力隊に参加したのでした。

そんなSさんは恐ろしいほど英語とは無縁の学校生活を送ってきたのです。マレイシア語の隣がSさんのいる英語クラスなのですが、そこからは毎日爆笑が聞こえてくるのでした。

クラスメートの誰もがSさんの学ぶ態度に度肝を抜かれたのでしょう。まず最初に参考図書として各自持参してきたのが「研究社の英中」と呼ばれる英和中辞典でした。

Sさんは隣の席のクラスメートの使い古した英中をみて「なあ俺のはさお前のより1000円高いんだぜ」「Sさんのが高かったのは皮の装丁だからでしょう。中身はおんなじだし私はこれで十分なのよ」

「え?本当なの。俺は1000円分高級な内容だと思ったんで買ってきたんだ」クラスの皆がビックリしたのはそれが最初でしたが、やがて大笑いに変わりいつも英語クラスは和やかな雰囲気があり、他の語学のクラスからうらやましがられていました。

ただ、語学講師はお腹を抱えて笑った後、頭を抱えていました。「どうしたらSさんを卒業されられるかしら?」と。

また語学講師だけでなく、全研修生の語学習得を管理する専門員が常に進捗状況をチェックしていてます。ひとたび進捗に遅れが見られれば館内放送で「○○番まで連絡するように」との連絡が入ります。

もちろんSさんは毎日のように呼び出しがありました。

マカピーは彼のおどけた態度もあり、最初はSさんが冗談でやっているのだと思いました。順番で回ってくる放送係でも「ぐっど、もーにんぐ」とまったくひらがなをしゃべるような英語でやっているのですから。

ところがある日の事です。マカピーは廊下でSさんがクラスを終えた英語の語学講師にうれしそうに駆け寄るのを見たんです。

「ミコ先生、わかりました!わかったんですー」「Sさん、何がわかったの?」となんだか先生もうれしそうです。

「俺わかったんす、She の過去形は Herですよね!」

ミコ先生は持っていたテキストでSさんの頭をバシッと殴りつけて「今まで私は何を教えてきたのよ!」と叫んで、Sさんを残してその場を立ち去るのでしたが彼女の後姿から涙をぬぐっている様子がわかりました。

どちらも真剣だったんです。

Sさんは結局ぎりぎり出所し、念願のスリランカへ行くのですがこんな話も聞きました。「結局のところ彼の配属先はシンハラ語だから英語能力は問われないらしい」

マカピーはその3年後バックパッカーでスリランカに行った際に、たまたま同じ配属先にSさんの後任として入った隊員にあいました。かれは「もうSさんみたいに溶接の教科書まで作られちゃうと、僕の出番はないですよ」というのです。

Sさんは着任後、訓練校でシンハラ語が母国語のように急速に上達して、2年後の帰国前にはシンハラ語のタイプライターで溶接のテキストを作っていた伝説的な隊員となっていたのだそうです。

一方で、Sさんの英語が全く上達することはなかったそうです。


マカピーは思うのです。

努力とは何でしょうか?

適材適所とは何でしょうか?

狭い了見で誰かの能力を判断していないでしょうか?

その判断にあわせようと悩んでいる人がいませんか?

人は自分が求められていると分かった時に幸せを感じるのではないでしょうか?


そして、だれもが命のある限り「自分探しの旅」を続けるのだと思います。


それを考える機会をくれたSさんと、若い時にやっておくべきことは「旅」と「スポーツ」という沢木耕太郎氏に感謝します。


マカピーでした。







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