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ENDLESS CIRCLE

ここ近年、影響を受けた人たちがこぞっていなくなっていく。
そんな事をぼやくと年齢的なものじゃない?と言われるけれど、先人達はこんな気持ちを何度も味わっているもんなのか。
そんなわけないだろうと思う今日この頃。
前回も書いたけれど、チバユウスケを筆頭に何人いなくなったんだろう。
先日はGONGONさんが亡くなってしまった。
少し縁があっただけに複雑極まりない気持ちです。



学生の頃、何かしらのライブを観に行ってはそこで気に入った対バンのCDをライブハウスでゲットして、今度はそのライブに行ってみたいなのをループしている時期があった。
その頃高頻度でB-DASHがいて、記憶違いじゃなければ学生の時にクラブチッタで何かのイベントに出ているのを観たのが初めてのライブだったと思う。

周りにはインディーズバンドを聴く友人がそんなに多くはなくて、数人でお気に入りのモノを回していくような風潮。
HONGOUTという深夜の音楽番組があって、そこで新しいバンドを知るということが多かった気がする。
ハードコア、メロコアみたいな語尾に“コア”が付くジャンルがウチらのお気に入りで、ディグってもいたのでこの頃知ったバンドが一気に増えた。
アンダーグラウンドがかっこいいみたいな、最近じゃ耳にすることもなくなったAIR JAM世代ってやつなんでしょう。
土曜の夜中に麻雀している時、CDTVランキングに知っているバンドが出てきたりすると「おぉー!」と盛り上がっていました。
でもどちらかと言うと多くの知らない友人達はカラオケでこっちが勝手に盛り上がっているとナニコレ?となり名前を知っていくような感じ。
そんな中でもピクリともしない友人がいた。
ゆずや19を筆頭にJ-POPが好きなそんな彼でもインディーシーンを自ずと知るくらい、当時はヒットチャートにロックバンドがいた。
地元大森を歌った「平和島」という曲があって、その友人はそれが大好きで。
メロディーに乗せて語感で歌う「めちゃくちゃ語」が主流のB-DASHの中でも歌詞がちゃんとあるナンバー。
歌詞を書いているのは裏メンバーのSOTAさん。
“マニュアル通りに生きたって 何も始まらない 僕らの歩いて行く道は アスファルトなんかじゃない”
「良い曲だよねぇ~」と、ニコニコしながら言っていたのを思い出します。
笑い声がニコチンのHOWIEさんにそっくりで、彼の笑い声にはいつも釣られ笑いをしていました。



好きな曲がいくつもあります。
構成に捉われない代表曲で「SECTOR」の名前を挙げる人も多いけれど、個人的にはベタだけど「愛するPOW」の作り込みの方が好み。
後半から色が変わってモッシュピット渦巻く感じが大好きです。

一般的なAメロ→Bメロ→サビの構成が通用しないもの、転調や落ちサビで半音上がったりするものがいくつもあります。
改めて聴いているけれど懐かしさよりも血が滾ってくるね。



活動が終わってからの動向はずっと追ってはいたけれど、GONGON RECORDというレーベル内でAA=をもじってBB=という本家公認のバンドをやっていたり、極みつけはFOOL A MEAN GOES.でマキシマム ザ ホルモンの“拝啓VAP殿”カバー。

バズりまくったのでそれで知った人も多いはず。
ちょいちょいホルモンの中にもGONGONって名前が出てきたりもするし。
そんなFOOL A MEAN GOES.は2019年のASHIGARU DANCEに出演してくれました。
その前からSNSでコンタクトを取ってくれたりファンサービスというよりも、誰彼と会ったりするのが好きだった人で初めは戸惑ったけれどもそれよりも嬉しかったです。
イベントやっている事に触れたりしながらいよいよオファーをさせてもらいました。
今思えば、東北でライブをしてくれたのはこれが最初で最後で、とても貴重な日になりました。
ベースはいまむーさん、ドラムは元スネイルランプの石丸さんの3ピースバンド。
石丸さんに至ってはB-DASHと同じくらいライブを観ていたので、過去に何度かお会いしているけれど舞い上がっていました。
はじめて直接会ったGONGONさんは物腰柔らかいけど何考えているか分からないのもあって、ホルモンの亮君が何かで天使やら妖精と言っていたのも納得した。
あの日は深夜にも関わらず会場のMACANAは熱気が凄かったです。
PAスタッフからイベントが終わったあとに音響出来て嬉しかった、呼んでくれてありがとうとお礼を言われたのを覚えています。
スタッフさんもB-DASHが好きでした。

その後は下北沢のろくでもない夜でダイノジ企画にも出演してもらったりと、今後も何かと一緒に出来るねというくらい。
その頃にはGONGONさんとは臆することなく会話をするようになっていたけれど、その時は「今日はどうやって来たんですか」「何時に帰るんですか」「何を食べましたか」みたいな楽屋でしつこいくらいAIポッドみたいな質問攻めをされて「いつまで続くんだよ!」と石丸さんが突っ込んでいました。
懐かしい思い出です。

世の中はイベントが出来ない状況になっていった。
2020年の6月に仙台で何かやるつもりで声を掛けていたけれど、とてもじゃないけれど今は出来ないよねという流れで企画倒れしたままに。
やがてGONGONさんの身体も蝕まれていってYouTubeの街録チャンネルにも出演して自身の話をしていたけれど、そんな状態が続いていたようです。
前々からなんとなくは聞いていたけれど、そこまで酷かったのかと。
いよいよ入退院を繰り返すというタイミングだったと思うけれど、その頃に一度連絡をしました。
いつかやれるようになったらまた一緒に仙台でやりましょうとやり取りして、それが最後になってしまった。



亡くなったとのお知らせがSNSで出た日、メンバーのいまむーさんと石丸さんがXでキャスをしていたので終わりまで聴いていた。
身近なところにいたメンバーなだけに一番辛かったはずなのにね。
いまむーさんは拾ってもらったような形だから、心中はそれどころじゃないはずです。
夕方に80名近く聴いている状態で、なんとなくひとりじゃない気がしてありがたかったです。
葬儀のあった夜に再びキャス配信をしていて、形として残していくことの報告をしていた。
YouTubeでもいまむーさんが動き出すみたいで。
今すぐじゃなくても近い将来に何かしらの企画をしてくれる日があったらいいね。
応援してます。



DJは音を出し続けることが出来ます。
楽しい曲がいっぱいあるしね。
今後もたまに使わせてもらいます。
途切れないように、正に「ENDLESS CIRCLE」です。
GONGONさん、今までありがとうございました。
間違いなく青春の1つでした。

そういえばなんですけど、連絡取り合う時も直で話す時も、なんで「ネモト様」って呼んできてたんですか????
言えなかったけど、ずーっとむず痒かったっす!!笑
お元気で。


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