22.11.22
中学生の頃、辻村深月の小説に出てくる登場人物が嫌いだった。『子どもたちは夜と遊ぶ』に出てくる女性はニュースに共感して身動きが取れなくなってしまうような性格で、その傲慢さを自覚してもいる。繊細で賢くて、「ありえなかった」。
今となってはその繊細さが、自分自身のものであることがわかる。嫌っていた性格は自分のそのものだ。自分の繊細さが嫌いなんだ。感動する前に涙が出てくる。人身事故の次の日は、電車に乗るだけで吐き気。つらい。自分がそんな細やかな感性を持っていることに嫌悪感が年々募る。なぜかわからない。あと自分のことを自分で繊細だと言う人のことはわからない。だからかな。
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