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ボランティア

先日、最近の活動がボランティア活動っぽい感じになってるのはどんな思い?とある方から聞かれた。あまり自分の中でボランティア活動だという意識はなかった(笑)そこで、そもそもボランティアって何やろ?と思って調べてみた。

ボランティア
自発的に(公共性の高い)社会活動に参加する人のこと。主に無報酬である。

ということらしい。ちなみに、日本では混同している部分もあるがチャリティーとは違うとの記載。なるほど。

チャリティー
慈愛・慈善・博愛または同胞愛の精神に基づいて行われる公益的な行為・活動のこと。

個人的にやっている公園清掃はボランティアで、法人としてやっているあそびの広場はチャリティー。おーしっくりくるな。

こういう場においてこの2つのタイプが混同しないようにするのはすごく大切なのかもしれない。ボランティアと思っている人とチャリティーと思っている人がいると混乱が起きる。(お金の動きが違うからね。)

(独り言)こども食堂はどっちなのか難しいなぁ...どちらかではなく2パターンあるということ理解したら良いのかな。

いわゆる利益重視でない活動をしていると対価について問われることが多くある。
『何のためにやってるの?』『お金にならないことしてどうするの?』などと聞かれることが多いかなぁ。

この世の中(資本主義)で、お金というツールはかなり便利であった方が良いのは事実。でも、私自身の中に対価=お金だという感覚は、ほぼ皆無かもしれない。
人との繋がりや心身の安定、自分の存在価値、、、きっとお金では買えないものを得ている。だから、決して人のためにやっているのではなく、自分のためにやっているに過ぎない。

営利事業でもこの対価は得ると思う。じゃあ何でそうしないの?と言われると、、この本(【書籍】世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学https://amzn.to/3t1pD6t)の冒頭の話にもあった”すでに対価を受け取っている”という感覚が大きく影響していると思う。

私自身、小学校という場は違和感があり苦手だった。交友関係や学力に特別に支障があったわけでなく場の雰囲気が苦しかった(大人になるまでこの答えにたどり着かなかったけどね)そんな時に出会ったサッカーは私を開放してくれた。私が、そのサッカーを高校まで地域で続けられる環境を整えてくれたのは紛れもなく地域の大人たちだった。その贈与されたものを少し形を変えて地域の次の世代に贈与している。ボランティアとチャリティーで。

今、まとめられるのはこんなところかな〜人と話をするうちにまた整理されていきそうな気がする。ダラダラと取り止めもない話をしたい気分だなぁ。

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