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銀ちゃんといっしょ 20

介護って…5

私のまわりには近いうちに要介護になる人はいない
……と思ってる
実兄…4歳上 主人…5歳下
どうなるんだろう?
予定では(笑)
実兄と主人は大病もせずに
うちの子どもたちに見守られながら
静かに余生を送る
私は一番に〝認知症〟になり
それなりの人生の終盤を迎えて逝く……なんだけど
先の事など誰にもわからないし
その時その時のまわりの状況だってわからない

ただ1つ正直な気持ちとしては
たった1年間だったけれど味わった
〝介護家族〟の気持ちはもう味わいたくない
という事

実母がある日突然倒れ
救急搬送 入院→せん妄→転院→サ高住入居
その後の母の変化
救急搬送 入院→帰宅(サ高住)
救急搬送 入院→転院→死去

そんな一年間

自宅で一対一で介護をしている方や
一対一ではなくても〝長男の嫁だから〟等の理由で
強いられている方々が聞いたら
鼻で笑われるような事しかしていないけれど
私は私なりに精神的にとてもダメージを受けて
すっかり〝思い出〟として感じられるように
なったのは1年以上は過ぎてからだったと思う

その後からは冷静にいろいろな情報を
見聞きするようになって
今度は
〝こんな施設に入れてあげてれば〟とか
〝こんなサービスがあったのか〟とか
〝この人たちに出会っていれば〟とか
ワンランク上の後悔が始まっています

母が施設にいた1年の間
病院や施設からの着信に怯えていました
着信がありスマホの画面を見ると
入院中なら病院名
退院中なら施設名…
それを見た瞬間に頭の中の何かがぐじゅぐじゅと
嫌な感じになります
その一瞬でいろいろな事を想像 想定して
不快な気持ちでいっぱいになります
内容が本当に緊急性のあった場合はまだしも
ほとんどは次に訪問した時で良い事
それに対する憤りは安堵感で打ち消す事が
できないくらいのストレスでした

仲良くさせてもらっていた施設の事務員さんは
緊急性のない事はメールで
〝急ぎではありません!〟と件名に明記して
連絡をしてくれていました
本当にありがたかったです

髪の毛のカットにも行きませんでした
たとえ時間があっても気持ちが向かない
カットの最中に緊急の連絡があったら…とか

そんな私を主人がドライブに連れ出してくれました
自宅を離れ始めて不安な気持ちになって来て
母の主治医をしてくれていた友人にメールを送り
〝今 主人とドライブに出たんよ〟と一言
すぐに返信してくれて
〝良かったやん!えぇんよ ゆっくり遊んで来な〟
ピン!と張りつめていた糸が切れたように
泣きました

自宅で介護していない人は楽で良いな…と
思われているのかな

我が親の事を人に任せて…と
思われているのかな

一週間に一回ちょろっと来てすぐ帰るだけ…と
思われているのかな

そんな気持ちが頭を離れる事はありませんでした
ずっと
ずっと
もしかしたら今も

施設を経営されている方々
働いている方々
皆さんの気持ちや考え方を見聞きして
なんでそんなに優しい気持ちが持てるのか
なんでそこまで他人の事を考えられるのか

そして熱い想いを聞かせてもらって
よく考えたら当たり前の事じゃないのかって

そんな当たり前の事1つ1つ
なんでどこででもできないんだろうって

でも自分自身そんな当たり前の事が
何1つできなかったんじゃないかって

スマホが鳴るぐらいなんだって
我が親の事じゃないかって

でも
でも
耐えられなかった

スマホをどこかに置き忘れて出かける
そんな事ができるようになった自分
良かったのか悪かったのか

平穏な毎日である事のありがたみ
忘れてはいけないなと思う

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