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昭和の夫婦

夫婦について偉そうに書いたけど

私の両親は典型的な昭和の夫婦です

思春期に入るぐらいまでは
私の中で父親はヒーローでした
誰もが知っている所で働いていて男前で…
中学生ぐらいまでの子どもですから
その程度の事が理由でしたけれど

母親は家にいて家事をしている〝だけ〟
父親は外で大変な思いをしながら働いている
そんな認識でした

でもだんだんと
母親のしている事 父親のしている事が
見えてくると
どっちも大変だという事がわかって来ました

そして退職した父親が
家にいて何もしない姿を毎日見るようになり
父親の〝仕事〟は終わったかも知れないけど
母親の〝仕事〟はずっと続く
それなのに母親を見下すような事しか言わないで
私が意見をすると
〝なぁにが家事労働だ〟と
吐き捨てるように言っていました

父親と私の間には他にも様々な確執があり
もう父親へのどんな愛情も持てなくなりました

母親は家庭内離婚状態を
〝もうどうでもいいのよ〟とやり過ごしていました

両親の夫婦生活は破綻していた
そう思っていました


そんな両親を見ていて
私はきっと結局は父親のような人を選んで
母親と同じような人生になるんだろうなと
思っていました
『亭主元気で留守が良い』ですね
夫婦二人で同じ趣味を持ち…なんて
到底考えられませんでした
〝コロナ離婚〟をしていたでしょうか



父親はグループホームに10年ほどいました
その過程も忘れるくらい
私は父親の存在を頭の中から追い出しています

母親も父親のいるグループホームを
訪ねる事は皆無でした
身の回りの品々を購入して持って行くぐらいでした


父親の体調が悪くなり
ホームの人が病院へ連れて行ってくださり
私は母親をその病院へ連れて行き
駐車場で待っていました

大事には至らず帰る事になり
母親を待つために
駐車場から病院の出入口を見ていると
ホームの人に押してもらって車椅子に乗った父親と
その傍らを歩く母親が出て来ました

ホームの人が車をまわして来る間
両親が二人きりになりました
二人とも私が見た事がないような穏やかな表情で
言葉を交わしていました

私はずっと母親の味方になって
母親を守って来たつもりでいたけれど
そうではなかったのかも知れない
そう思いました

両親が揃って幸せそうな顔をしているのを見たのは
それが最初で最後になりました


夫婦の幸せなんて
誰にもわからないんだと思いました

もしかしたら本人たちにも
わからないのかも知れません





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