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旅の効用

北へ旅
こころの想い
ひとしずく
酒とさかなに
舌は
ふるえる


「愉しさ発見」(1986年作品)より

 旅は度々したいもの。旅の愉しみもいろいろあるが、唯ふたつ、いつの場合でも変わらないのは、その地の酒と食べもの。景色が良くとも、この二つが欠けた旅ほどつまらないものは、無い。
 写真に夢中で、その景色を後から写真で見る程、味のないものはない。旅にはカメラは不要。景色は心のひだで撮る。いつかの拍子に、ポコと想い出し、愉しめば良し。想い出の根源は、舌にあり。四月のある日、敦賀に商用で出かける。目的は、はじめから、ひとつ、早く用事を済して、市場を覗きたい、これ一心。
 駅前の近くにあいにく市場無し。周辺をうろうろして、一軒の店の前。魚貝がところ狭しと愉しそう。吸盤のすい付き強い生け峭。眼玉くっきり、鱗すっきりの黒鯛。茶色の肌が深くて濃い獲れたばかりの剣先イカ。美味しい墨がたっぷり入ってそう。
 「鳴呼―」
 「美味しい墨いっぱいのこのイカの、イカイッキが食べたいなあ―」と思わずひとりごと。
 汽車の時刻もせまり、どれを買うかと、こころのあちこち揺れる。
 「兄さん、このトロ箱一ぱい三千円!」
 店主の声。
見れば、大好物の蟹。時期が時期だが、と思いながら、思わず、
 「買った!」。
その日の朝の獲れたての、いかにも生きのいい蟹が十数匹。
 家に帰るや、早速、大鍋に湯をたっぷり、塩、ひとにぎり。約十分。引き上げた蟹は、見事なズワイ蟹のメス。セコ蟹。美味そうな朱赤の甲羅がまぶしい。あせるこころを押え込み、翌日、酒羅漢達を召集。皆んな黙々。いつもの賑やかさはどこへやら。一瞬、時間が止まる。

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