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【孤独死】突然の事実に直面した私の行動

2020年12月正午、一本の電話で父の死を知った


いつも読んでいただきありがとうございます。マーボーです。

今回の記事は9000字を超える長い記事となっております。


すでにお察しの通り、私の父は孤独死しました。

この事実を知った日、私は「孤独死」について調べまくりました。

でもこの記事のような実体験に基づく記事はほとんどなく、知りたい情報を十分に得ることができませんでした。

この記事は父の孤独死によって私が経験したことや行動、考えを事実に基づいて書いています。

この記事が誰かの知りたい情報の一部として少しでも活用していただければという思いで書いたものです。



この記事を読んでもらいたい方は
・身内に遠方で一人暮らしをしていて外部との接触がほとんどない方がいる
・自分が一人暮らしで外部との接触がほとんどない
・孤独死について理解し備えておきたい

といったような、自分や家族、お知り合いなどに対しての「孤独死」の可能性や不安を少しでも感じている方に読んでいただきたい記事です。



この記事は誰にでも気軽に読んでもらいたい内容の記事ではありません。

実際に起きたことを生々しく書きますし、実際の写真も公開していきます。


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このような内容にしていきますので有料での公開とさせていただきます。

刺激的な内容や画像も含まれますので、よく考えてからの購入をお願いします。





それでは前置きから始めていきたいと思います。

両親、兄弟について

両親は私が自立してから数年後に離婚していて、2人の弟は母親と、父親は勤め先の寮で、私は職場の寮でとそれぞれの生活を送っていました。

もともとまともな家庭ではなかったので、こうなることもまぁ自然な流れだったのかもしれません。


父の生活

父は65歳の時、2014年の3月末で会社を退職し、年金生活に入りました。

離婚後も再婚はせず、職場のあった神奈川県で悠々自適に一人で暮らしていました。

父は正社員ではなく契約社員、日給月給制で退職金もなく、貯金もあまりなかったようで、退職後の生活には余裕がありませんでした。

生活費や入院、通院費でお金が足りなくなった時や生活がきつい時には、私が援助していました。

私と父は少なくとも年に1回程度の連絡を取り合ってはいましたが、弟たちとは全く連絡しあってはいなかったようです。

会って顔を合わせたのは2006年6月が最後だったと思います。


父への不安

私は父の退職後、生活状況に余裕がなくまともな生活を送っていないだろうと思い、何度も私が住んでいる愛知県での同居を促しました。

父は「大丈夫だ」「お前には迷惑かけないよ」と言い私との同居には至りませんでした。

私が援助した費用も少しずつ返金してくる始末で、とことん私の世話になる気はないようでした。

様子を見に行くといっても「来なくていい」と言うほどです。

私が学生の頃から家族で出かけるようなことはなく、父はいつも自分の好きなことをしていました。母もそんな感じでしたが。

父はきっと人に干渉されることが嫌だったのでしょう。



今更ですが、嫌がられても定期的に顔を見に行くべきでした。



これ以降は父の孤独死について私が経験した実体験に基づいて大きく3つのことについて書いていきます。
・実際の出来事
・処理や手続きの流れなど
・父が遺したもの
※刺激的な表現や実際の現場写真の掲載がありますので閲覧注意です。



それでは本題に入っていきます。

2020年12月2日(水)

私はいつも通り会社に出勤し勤務中でした。

胸ポケットに入れたスマホがなっているのは気づきましたが、あと少しで昼休みであったため、必要があれば後でかけなおそうとスルーしました。

昼休みに入りスマホを確認したところ、留守電が入っていました。

その留守電を聞いた時、血の気が引いて鳥肌が立ったことを今でも覚えています。


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