一度自分の人生を生きてみようと思った

この数カ月は転職活動をしていたのだが、sesに転職して給料は2倍以上にはなった。 だが元々居たゲーム業界からは離れてしまって、仕事はラクだがやりがいや成長は無い現場で働くことになった。

とりあえず生きていればいいという考えで生きていたのに、最近になって急にやりがいや成長を欲しているんだ。何だろうなコレ。
そして急な話なんだけど、日本って良い悪いは抜きにして資本主義の国だよね。
「成長して地位や名誉を手に入れる」もしくは「賢く稼いで楽に暮らす」等、価値を生み出せる人間になることが推奨されてる。
俺も30歳を機に成長を目指し転職したが"成長"というのは少し古い考えになってきているのではないかと思い始めている。

強く成長することが正義として生きてきた俺らのような世代。
自分が結果を出した分だけ、その見返りがある。 なまけた人間はそれ相応の生き方しかできないという考え方。
頑張ることでいつかは報われることがあるかもしれない。そのために頑張るんだというのが俺らが教育として受けてきたものだ。

しかし、どれだけ環境や人という運が降って来たかで変わるのが現実だ。
生まれる国、金持ちに生まれるか貧乏に生まれるか、どの様な教育を受けてどの様な生き方をするのか、勉強が楽しいと思えるか、楽しいことを見つけられるか。 すべては運で決まっていると感じている。
今の若者たちも気づき始めている様な気もしていて、アメリカではドゥーマーという現代社会に絶望し世界の終焉を望む層や、中国のタンピン族という権力者の犬にはならないと寝そべる層も生まれてきた。
なぜこのような思想が生まれてきたのか。
それは視野が広がり全体像が見えて"しまった"ことが原因だろう。

俺ら世代は辛そうな親や大人を見てこうなりたくないだとか、先生が嫌いだ とか好きだとか、テレビの芸能人に憧れるだとか、友達と共通で見ているアニメがどうだとか。自分の周囲が世界のすべてだった。
多分、今の若者たちの周囲でも一部分はそうじゃないかなと思うが、 昔と今の若者で大きな違いはSNSやコミュニケーションツールの普及だろうと思う。
X(旧ツイッター)を見れば同年代でキラキラした人間が沢山居て、自分と同じような努力量のように見える人達がなぜか偶然バズることや、大金持ちなビーストと偶然会って大金を手に入れるような人間までいる。
そして成功者の話になると、メディアが取り上げる有名人や芸能人や政治家の問題の話をしていたかと思えば、皆が憧れる幸せな生活をしてる人達を持ち上げる。
努力そのものに価値を感じなくなるのも必然ではないだろうか。

俺もどちらかというと去年までは未来に絶望し、今を生きるだけの気力があればいいと思っていたし、頑張ることだけでは報われないことは分かっていた。
幼少期は暴力的な家族や心を攻撃してくる他人に人生を壊され、青年期には自分の人生を諦め、成人する頃には親の為に最低限の生活をして心の支えになろうとした。
そして自分を諦めたつもりだった。

んだけど、ゲーム関係の仕事で上手く行っちゃったんだよね。
それでなんか楽しくなっちゃって。
色々楽しく頑張ってみたいなとか欲が出ちゃった。

という所で、いま色々とゲームとかエンタメ系とか、今の自分が楽しいと思える何かを探して頑張ってるという近況報告。

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