心が記録1「憧れから来る悪意との向き合い方」

悪意は自分の能力の限界から生まれることが多々ある。
"自分が持たないものを持つ他者"に対する悪意は誰しも必ず一度は抱く感情だろう。

嫉妬と悪意

【ウメハラ「嫉妬を克服するために必要なのは我慢じゃない。『技術』です」】
https://www.youtube.com/watch?v=L57p5mKMJZM

よくウメハラさんの雑談動画を見ることがある。
私の今回書く『悪意』の成長前である『嫉妬』に関して話しており、彼自身の嫉妬が生まれる場所は、生まれつき持っているもの以外に焦点が当たる時だという。
そして嫉妬に対する解決策として「嫉妬は自分が悪いと思うこと」が彼なりの『嫉妬』との向き合い方の様だ。

しかし、私自身は声や外見など、生まれつきに近いものに嫉妬することが多い。
努力で変えられる部分には行動を起こしており、努力で変えられなかったものは諦めてきた。
諦めたものや元々持っていないものは、しゃべる能力、かわいさ、美しさ、かっこよさ、人間関係の能力など様々だ。
このような嫉妬は自身の内面に目を向け、外界と比べないことで和らげることが出来るはずだ。

だが、この現代社会では「井の中の蛙」で居たいと願っていても「ネットの海」に濁されてしまう。
息も詰まり、視界は曇り、空の青さを知る心の余裕なんて無くなってしまう。

「持たざる者」の嫉妬は「持つ者」に対する敵意として心に留まり、どこか心で「悪意」として成長し続けている。
この「悪意」を適切に取り扱う方法を模索する中で、ある動画に出会った。

悪意の慰め方

【創作界隈の悲しい現実と成功するクリエイターが持つ資質を解説】
https://youtu.be/GqnAxrAc4t4?si=e64LJMCp_4QdOfwH&t=726

流し聴きしていた動画の中で気になる言葉が耳に入って来た。
この動画では、他人を恨む前に、必ず自分を恨む瞬間があると語られている。
「自分を恨むな。自分を許せ。」とアドバイスがあり、自分の中の悪意を鎮めるためには、その痛みを受け入れつつ、目をつぶることも必要だと述べている。

私の思う「許せない自分」は「他者に理想の形で認められない自分」だ。
自分を許す為には自分の中に居る一人の人格を殺すしかない。
もしできないのであれば悪意を殺すしかなく、自分の理想の形で認められるか、自分で満足する以外にこの悪意を殺す手段はない。
「悪意」か「人格」のどちらかを消滅させなければ治まらない。

そんなこと、そう簡単に出来るわけがない。

であれば、蓋をする方法を探すしかないのだ。
その手段として全く別のことをする、趣味を増やす、自分が理想とするものに極力触れない様に生きることが目をそらすには最適だ。

悪意を育て飼う

そんな私は客観的には適切ではないと思う方法で対処している。
逆に悪意と真正面からぶつかるという方法だ。
憧れの人物などを積極的に見聞きし、自分の心をあえて締め付け、毒を毒で制すが如く、自分が成れない、手に入らないと思うものを泣く程、吐く程見ることで限界まで沈む。その苦しみが自分を動かす原動力となっている。
昔はそれで心が壊れていた時期もあるが、繰り返す内に強度が上がり、新しい挑戦を色々と出来るようになった。
この荒療治はあまりお勧めしないが、諦めるのが下手で、嫉妬が人の10倍強いと感じる人にはお勧めする。

あとがき

文字として書いたことにより頭のファイルを一つ整理できた気がした。
その上でまるで便所の外、すぐ側にあるチラシの裏に書くように。
もしくは海に向かって「バカヤロー」と叫ぶように。
これから感じたこと、思ったことを殴り書いていこうと思う。

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