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創作大賞2024エントリー作品

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今回初応募した作品たちです。 これまで「一時的に出逢った見知らぬ方たち」の愛すべき個性と、感謝や学びを描きました。 前置きが長い部分もありますが、そこを知っていただくと展開の面白…
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記事一覧

声を授けてくれて下さった方(1969年 0歳)

これは、私の生後3か月頃の話である。 母から何度となく聞かされた話ではあるが、何しろ彼女は夢の中を生きているような人ゆえ、若干怪しい部分があるかもしれないことを予めお断りしておく。 さて。私が誕生した当時、家族は父の仕事の関係で川崎のとある街に住んでいた。 大きな川に隣接したその街は、商店街が賑わい、昭和的下町ハートフルな空気感に包まれた、とても暮らしやすいところだったのだそうだ。 北海道の小さな漁師町出身の母は、バリバリの専業主婦。父は遠洋漁業大型船の船員で、乗組員の方

友達関係を考えるきっかけを与えて下さったおばあさんとのひと時(2008年 39歳)

私はこの日、友との待ち合わせのため、自宅から最寄り駅へと足早に向かっていた。 18時近いのにまだまだ明るかったその季節は、おそらく夏が近づいていた頃だったかと思う。 駅までは20分ほどで、現在「このまま行けば、ちょっと早く着くかな?」というベストな状況。いつものルートである、車通りの激しい街道沿いの、長ーい下り坂をずんずん下っていった。 坂の1/2を下った頃であろうか。少し先にある、歩道沿いの駐車場ブロック塀(膝の高さ)に、おばあさんが腰かけられている姿が小さく目に入った

私の想念を証明して下さったお坊さん(2014年 45歳)

実父が他界した、この年5月。 約7か月後に、旦那の母方の叔父さんもこの世を去った。 お通夜の連絡が来た時、もちろん旦那は即決で参列することになったが、私はかなり迷った。 一番の理由は、まだ喪中で気持ちの整理がついていなかったから。それに加えて、私にとって叔父さんは一度しかお会いしたことのない存在であり、義母が他界してからは更に遠い存在となっていたからである。 『どうしよう……』ぼんやり迷う。 しかし、何だかんだと旦那の支度を調えているうち、成り行き上、急遽私も参列すること

働き方と生き方の意識改革をして下さったパート同僚(2014年 45歳)

28歳で会社員を辞めてからというもの、それほどチームワークを必要としない仕事を、ぽつりぽつりとしていた。 主なものが、「フリーのイラストレーター(13年間)」と「広告代理店さんでのお気楽アルバイト(なんだかんだと17年間)」。あとは、アクセサリーの制作販売(4年間)、短期のパートやアルバイトなどで、イラストレーターの時は徹夜で大変だったりしたが、自分さえ頑張ればなんとかなる環境であった。 だがしかし!42歳を迎えようかという時、突如として「怒涛の変革期(大暗黒期)」が襲来!

何かを究めるには、『その道の心』を感得することが大切だと知らせてくれた女性(2020年 51歳)

この年の新春早々、突如として茶道に興味を持ち始めた。 「な…なんでもいいから、一刻も早く茶道について知りたい!!お茶碗をクルクル回すこと以外に、なんでもいいから!」 人生半ばにして、貪るような知識欲。しかもその世界は、これまで一生関わることは無いだろう(どちらかと言うと苦手)と思っていた、自分と最も対極、かつ天上界を見上げるような敷居の高さである。 なのに、衝動的なこの目覚め……。我ながら理解不能だったが、とにかく本能の赴くままに、早速茶道の学びをスタートさせた。 と言って

アパート隣部屋のおばさまに願いの叶え方を教わる(2015年 46歳)

諸事情あって、当時2年間だけ1Kのアパートを「仕事場(と言う名の心の避難場所)」として借りていた。 折しも、人生の暗黒荒波に半ば沈没しながら、必死に舵取りをしていた頃である。 場所は、駅近の割に落ち着いた住宅街。3階建てで、1フロアが2世帯ずつとなっており、広さは4.5畳であった。 お隣さんは、おひとり暮らしのとっても快活なおばさま(70代前半)。 電車で20分弱かかる市外のトンカツ屋さんでフルタイムのパート勤めをされていたのだが、いつお会いしてもハツラツ元気!丸い笑顔に溢

奈良。探し求めていた、本物な方(2017年48歳)

アクセサリーの制作活動をしていた頃。 「ちょっとしたお仕事(委託販売の納品)」を大義名分に、いつもの「風水開運ひとり旅」へ。 訪問先は、修学旅行以来の奈良である。 実に30年ぶり位の奈良。なにはともあれ、初日に納品を済ます。 そして完全フリーになった2日目の早朝、この旅一番の目的である「念願の神社」を無事参拝。 その後、ほんの思いつきで、近場に鎮座する「別の神社」にもふらりと立ち寄ることにした。 「確か、ここもパワースポットなんだよな~」 それだけのふんわり知識で訪れた、

私の道案内にブチ切れたおばあさん(2019年 50歳)

数年前、最寄り駅近くに食品スーパーが誕生した。 中型のチェーン店で、位置的には自宅から徒歩で10分ほど。 普段使うことのない“細っこい裏通り”を行くのが最短ルートである。 オープン当初は、物珍しさから何度か訪れてみた。 しかし、それきりとなった。 だって、いつ行っても「新築なのに、どことなく店内の雰囲気が重暗い」といった違和感を覚えるのだ。 重暗さの原因は分からない。照明が暗いということではないし(適度に明るいし、窓からの採光もある)、お客が少ないからという訳でもない(む

天真爛漫と気配りのさじ加減が絶妙だった女性のお客さま(2018年49歳)

お隣の静岡県に、「水の都」と呼ばれる街がある。 富士山の伏流水が街中をこんこんと流れ、透明な水底には青々とした水草や梅花藻がそよそよ。浮かぶカモたちもプカプカ、とても気持ちよさそうだ。 緑豊かな区域では、夏場清流にだけ生息する真っ黒な羽の「ハグロトンボ(別名神様トンボ)」にも稀に遭遇。ふわりふわりとした蝶のような羽ばたきを見れば、心がスッと神聖な領域に入っていくのだった。 私はこれらの心洗われる光景が大好きだ。 訪れる度に、時を忘れボーッと眺めてしまう。 そんな街で、夏

実は私よりお元気だったであろうおばさま(2012年43歳)

とにかく夏が鬼門である。 年々増す暑さに、年々立ち向かう気力体力も薄れ、このところは「呼吸だけで精一杯」とやられっ放し。 熱中症も、程度こそ違えど毎年恒例で、冷却枕の上で覚悟を決めた私は、「我が人生、本当に大変だったけど、それでも何だかんだ楽しかった。ありがとう、ありがとう……」とひとり涙を滲ませ、辞世のポエムを詠む。 そう、夏は生命が脅かされるデンジャラスシーズン。 人生最大の宿敵なのである。 だが!よりによって、この年のとある夏の日、私は新たにパート勤めを始めようと決

オフィスビルのトイレで慰めて下さったご婦人(2012年 43歳)

オフィスビル5階にある和やかな雰囲気の広告代理店にて、週1・2回のアルバイトをしていた時のこと(この年4年目)。 休憩中に気分転換をしたくなった私は、いつも使う同階のお手洗いではなく、一般の方も利用する「1階エントランスホールのお手洗い」になんとなーく向かった。 たまに利用するこちらのお手洗い。割とコンパクトなスペースなので、中の人に入り口扉をぶつけないよう、ゆっくり押し開ける。 パッと見人影は無く、安心して扉を全開して入ると、壁で見えなかった2つの個室も開け放たれていた。

“純真一心パワー”を教えて下さった主婦の方(2018年49歳)

こってりした暑さが居座る、初秋の朝。 ローカル線にガタゴト揺られ、八方除で有名な神社へ、ご祈祷を受けに向かった。 ここ最近の私は、積年の想いにボウボウと燃えていた。 『終の棲家を探し始めて13年。パソコンで検索しすぎて腱鞘炎になったし、相当数の内見もした。だから、もういい加減「ここ!」と思える物件に出逢っても良いだろう!私は相性の良い物件に引っ越したいのだ!引っ越すのだ!』 そんな渇望から生じた心の業火は、暑さ厳しき折、自分でもむせ返るほどの熱を放ち、『でもさ、八方除けの

心の内を吐露するヒーラーさんたち(2012~2018年 43 ~49歳)

忘れもしない2011年。 2つの突発的大事態が発生したのと共に、10年に渡る怒涛の自己改革期が開幕した。 絶え間なく襲いかかって来る不可抗力な難事に、心の沼底でひとりもがく日々。 そればかりか、その沼で出逢った己ともガチンコ対決することに……。 私は、連戦に次ぐ連戦で、流す涙も見えぬほど泥まみれだった。 そして、声なき悲鳴をあげながら激痛に悶え続けたのである。 で、その「ひとり戦乱期」の序盤。己とガッツリ向き合うのがあまりに辛すぎて、どうしても人の手を借りずにはいられず

私のイメージを漏らしたヒーラー氏(2018年 49歳)

絶望の人生ダンジョンを、満身創痍でソロ攻略していた頃。 体感1億光年の時点で、理由もなく予感が起こった。 「もしかして、今まさに人生の岐路に立ってるんじゃ!?ここで思い切って軌道修正すれば、ようやくこの暗闇ループから抜け出せるんじゃ!?」 それにいち早く反応したのが体。光の速さで、怒涛の断捨離をスタートさせると、お次は心が「内面浄化もはよはよ!」と猛烈に要求。 そこでひらりと閃いたのが「クリスタル(水晶)製の音叉ヒーリング」。 3カ月ほど前に、都内のヒーリングサロンにて出逢