短編小説:世界は優しくも残酷で。
【全文字数:1,298字】
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〜・〜・〜・〜
誰もが一度は望むもの。それを彼女は持っていた。
「ねぇ、退屈だわ。何か話して」
彼女は床にだらしなく寝そべり、気だるそうに要求してくる。無理なことを言うなぁ、と僕は思った。
うんともすんとも言わず、ただ黙々と働き続ける僕を、彼女はじっと見つめてくる。その瞳も床に広がるしなやかな髪も、薄いピンクのワンピースをまとった白い肢体も、眩しいほどに輝いていた。
だけど、美しい顔に浮かべるその表情だけは暗い陰を帯びていて、僕の心にもまた、影を落とす。
「どうしてかしらね」
くるんとゆっくり、半回転。彼女は無機質な部屋の天井を仰ぎ見た。
「誰もが望むものを手に入れて、誰よりも幸せになれるはずだったのに」
そう言って彼女が天に伸ばした手は、当然何も掴めはしない。どこに伸ばそうと、それは同じことだった。
なぜなら、ここには何もありはしないから。
かつてはきらびやかな調度品で満ち、多くの人々が暮らしていたこの場所に、今は僕と彼女しかいない。もうずっと長い間、そうだった
「――あなたも、あたしを置いていくのね」
空間に溶けた呟きに、僕は驚く。
気付いていたのか。
そう思ってから、自分の鼓動が早まっていくのを実感した。
「ごめんね。あたし、あなたのために泣いてあげられないみたい。涙なんて、もうずっと昔に枯れ果てちゃったから」
そう言ってこちらに向けられた彼女の笑みは、泣き顔にしか見えなかった。
ああ、ごめんなさい。僕はただただ謝った。
僕は彼女を笑わせるために存在したはずなのに。彼女を笑わせたいという強い願いを持って生み出されたはずなのに。
「うそつき」
それはきっと、僕に向けられた言葉ではなく。ずっとずっと昔、彼女が愛した彼への言葉。
「うそつき、大嫌い」
なんて残酷なんだろう。僕は世界を恨んだ。彼女を置いていった彼を恨んだ。彼女を置いていかなければならない自分を恨んだ。
僕の中の時は、どんどんどんどん早まっていく。だけど、彼女を残したこの世界の時は、今まで同様緩やかに進み続けるのだ。
「うそ――つき、大嫌い」
それはきっと、僕に向けられた言葉ではなく。ずっとずっと昔、彼女が愛した時計職人への言葉。
「うそ――」
カチコチカチコチカチコチカチコチ。
何十年、何百年、それこそ心を持ってしまうくらい長い間、僕は彼女の時を刻み続けた。その中で、いったい彼女は何度僕を捨ててしまいたい衝動に駆られただろう。
彼女にとって、時を報せるモノは苦痛の対象でしかあり得なかった。
それでも彼女が、最後まで僕を側に置き続けたのは――
「嘘、大好き」
愛しい人から愛しい人への贈り物。“永遠”を刻む時計と名付けられた僕。
いつの間にか、ずっと前から、僕は彼だったのだ。
もちろん僕は、彼女の美しい髪を撫でることも、優しい言葉を紡ぐもできはしない。
それでも確かに、僕は彼だった。
「――ありがとう、大好きよ」
終わりまでの狂った時を刻み始めた僕に、彼女が最後に呟いた言葉。
それは、きっと――。
END
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