アルバイトいくつか


ニンパイさんに乗っかる形で自分もアルバイト経歴を少し披露してみます。
https://note.com/shinobuk/n/nce407d7c31db

盛岡市在住の16歳のとき喫茶店でアルバイトしたのが初めて。
もう38年前のことですが、その店はまだ存在する。のをこのエントリーを書くにあたって調べてみて初めて知りました。グルメサイトには写真も多く載っていて什器の更新はあっただろうがほとんど何も変わっておらず変な声が出そうになった。いや懐かしくて。

この店で憶えていて話せることといえば(笑)、当時自分は手が皮膚炎でボロボロでほとんどの指に絆創膏を2枚も3枚も貼っていて今ならクレームでも来そうな感じでありましたが、ゲイの人たちのグループ(当時はオカマと言っていましたね)が来店されたとき「あらお兄さん綺麗な顔してるのに指ケガしてるの?可哀そ~可哀そ~」と撫でられたことと、毎週日曜日の午後になるとダークスーツに身を包んだ明らかにその筋のいかつい人たちが6人連れくらいでやってきて、揃ってプリン・ア・ラ・モードを召し上がっていた微笑ましい姿。僕はここで男が甘いもの好きでもいいんだ!って教わりました。
クラスメイトや先輩、地元なので同窓生が偶然来店したりして面白かったです。

その後、家の近所の小さな本屋さんの店番をやりました。
オーナーは八百屋さんだったので自分はひとりで店番をしてて、さしてお客さんも来ないし来ても別に相手をすることもないので棚にある売り物の雑誌を読んでましたね。雑誌文化が右肩上がりの時代なのでいろんな意味でヤバい雑誌がありました。サブカルチャーがまだアンダーグラウンドだった頃の話です。
ここは自分が通っていた中学校の通学路みたいな商店街にあったので地元の連れや後輩の中学生が来て少年ジャンプなんかを買っていきました。中学時代のクラスメイトでものすごく地味でほとんど話したことがなかった人が雑誌「ニュートン」を毎月買いに来てて、O君はインテリなんだな~と後から知りました(ニュートンが何の雑誌かも知らなかった)。

あとアルバイトから外れますが、バンドをやってて知り合った広告代理店の大人とテレビ局に勤めている大人が組んで呼び屋をやってて、その人たちが東京から呼ぶバンドのライブの設営から撤収までを手伝ったりしてましたね。海外からジョン・ゾーンまで来たんですよ!知らない人は調べて下さい。
東京のニューウェーブシーンでは人気がありメジャーデビューも果たしたガールズバンドを青森に連れて行ったときはお客さんがぜんぜん入らないし盛り上がらなくバンドが落ち込んでお通夜みたいな打ち上げをしました。次の日、盛岡でやったときはたくさん人が来て盛り上がって楽しい打ち上げになりました。月曜日の朝に新幹線で帰るバンドを見送りに行ったとき学生服だったので「え?高校生だったの!(笑)」と言われたのがいい思い出です。
自主製作の雑誌(所謂ファンジン)を手伝っていてライブに来た宇崎竜童さんにインタビューしたりしました。ど緊張しました。

上京してすぐに渋谷道玄坂にある太宗ビルという大きなテナントビルの地下にある10人も入れば満席の小さな喫茶店(今はもう無い)でウェイターをやりました。
ところがこの店、出前をやっていて、お客さんはそのビルに入居しているたくさんの小さな会社で、電話が来るとコーヒー一杯でも8階のどこエリアのどこ社さん、5階の何エリアの何社さんという感じでビル全体を走り回るピーク時は割とヘビーなバイトでした。しばらくは出前先の会社の場所が分からず迷ったりしてましたね。
バブル前夜で、ある不動産屋さん(リゾートだったかな)にコーヒーを届けに行くと、スケスケのブラウスを着たバストがボリューミーな美人のお姉さんたちがカモ?の人をがっちりに挟んでいるところでコーヒーを注いだりしてましたね。
店自体は4歳上の人が仕切っていて、その人は「忙しいときにヘマをしても絶対に怒らない」ことを有言実行してて優しかったです。僕が出前途中でホットサンドを廊下にぶちまけたときも代わりをすぐ作ってくれて出前に行っている間に掃除もしてくれて「急いでたからね~」と言ってくれました。僕も見習って仕事ではどんなに忙しいときでも他人に対してイライラしなくなりました。
経営者は暴力団の人で、僕が何か出前先で理不尽に怒られたとき話を店長から聞いてその出前先に怒鳴り込んだので頼もしかったです?
コーヒー自体は経営者が自分で比率を決めたオリジナルブレンドをサイフォンで入れるスタイルでとても美味しかったです。豆を挽いてもらって帰って家でも飲みました。辞めた後もいつでも豆をもらいに来いと言われたのでしばらく通ってました。
夕方になると綺麗なお姉さんたちが出勤してきて、夜は本業のスナックになりました。僕はまだ10代の地方出身者のツルツルの若者で...この話は以上です。

あと警備会社を一晩で辞めたり、お中元お歳暮の時期だけデパートでアルバイトしたりしてました。

思い出した。
埼玉県の北浦和に1年だけ住んでいたことがあって地元の中古レコード屋さんでバイトをしていました。
その店の経営者はCBSソニーの元ディレクターで有名なバンドのレコードに名前がクレジットされているような人だったです。ただそこで飲みに連れていかれて飲めないビールをジョッキで一気飲みさせられたり日本酒を何杯も強要されて非常に困りましたね。まあバイトしていると6掛けでレコード買えるし仕入れも良かったのでたくさんレコード買えたからなあ。店頭に出す前に買うなって言われながら(笑)。
その経営者はイベンターもやっていたのか、花博?みたいな催しに派遣されてイメージキャラクターのキグルミを着るアルバイトも1日2日やりました。頭部が巨大な2頭身キャラで補助がないと中からほとんど外が見えなくて行動出来ないという。でも小さなお子さんが嬉しそうにやってくるので何か意義は感じました。
今の天皇陛下が皇太子殿下だった頃に花博にいらっしゃられて、お帰りになられるときに参列したらキグルミの僕にも握手をしてくださったときはやはり感動しましたね。

ゲーセンでアルバイトしながらバンド活動という昭和のバンドマンらしい生活を送っていたとき、高校時代から仲良くしていた1歳上の先輩が店に来て、就職した会社が「コンピュータを操作する人」を集めているのでおまえも来ないか?と誘われて、やっと中小企業にパーソナルコンピュータが導入される時代で誰もコンピュータなんて出来なかったのでバンドくずれがプログラマになるのは面白いかもなと思って面接に行ってその場で採用されて僕は社会人になりました。インターネットが普及する10年以上前、ウィンドウズがまだ存在していない頃の話でした。

書けるのはこのくらいですかね(笑)。
読んで下さってありがとうございました。

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