大人になった僕らは

大好きなバンドがいなくなることは、親が死ぬより何万倍も苦しい。
親は年に一回会うかどうかだけど、音楽には毎日会ってるから。
親よりも、親友よりも、わたしを知ってくれているのが、今のわたしを形作ったのが、大好きな音楽たち。

あの夜のことを、未だにどう受け止めていいのかわからない。愛おしくてたまらないあのバンドが、引き出しの奥にしまわれてしまったあの日を。

わかってる。
本人が言っていたこと、周りが言ってくれたこと、全て正しい。バンドは手段であるべきで、そのバンドが目的になってしまったら、それはもう不健全であること。そのために、感傷ベクトルという装置を、一度ストップさせる必要があること。終わるわけではないし、本人も音楽を続けるということ。彼が新しく生み出す音楽が、楽しみであるということ。だから、なにも悲しむ必要がないということ。15周年記念ライブを、待っていればいいだけのこと。

頭では十分理解している。でも、いつまで経っても心が追いつかない。あまりにも正論だからこそ、どこにこの気持ちをぶつけていいかわからない。曖昧な理由なら、中途半端な覚悟なら、「なんだよそれ」って怒って、嫌いになれた。でも、誠実で、嘘がつけなくて、あまりに囁一さんらしい決断で、大好きで。だからこそ、どうしていいのかわからない。

彼が音楽を続ける。新しい音楽を生み出す。だから、真志朗さんの言う通り、「終わるのではなく、少し変わる」。

でも、それでも、「感傷ベクトルの田口囁一」は、もういない。

音楽家・田口囁一だけが好きだったら、きっと話は簡単で、「音楽続けるんだし、これからの囁一さんが楽しみだな」ですんだんだろう。でも、わたしは、音楽家・田口囁一とおんなじぐらい、感傷ベクトル・田口囁一のことが好きだった。わたしを同人音楽の世界に引きずり込んだのは、彼だった。だから、そんなに簡単に受け止められないし、前が向けない。駄々をこねるように、「なんで」って、ずっと思ってる。受け止めるのは、今もまだ難しい。新しい活動に期待をすることと、感傷ベクトルの終わりを受け止めることは、イコールじゃないから。

あの日、なんで自分があそこまで泣き崩れたのか、正直よくわからない。感傷ベクトルより長く応援していたバンドの、人生をかけていたバンドの、解散ライブもたくさん経験した。心の底から大好きで、何度も何度も命を救われたバンドは、ボーカルが死んで、二度とオリジナルメンバーが揃うことはない。でも、そんな時も、人前で涙が流れることはなかった。ひとりきりで泣いた。人前で泣き崩れたことは、人生においてほとんど記憶にない。

でも、あの夜は、本当に泣き崩れた。「あ、泣き崩れるってこういうことをいうんだな」っていうぐらいに。何が悲しいのか、自分でもわからなかった。ただ、寂しかった。音楽は残る、続く。本人たちも生きる。でも、もう生で鳴らされることはない。空気が震えることはない。ライブの、目の前で鳴っている感傷ベクトルの音楽が大好きだった。5年後本当にライブが行われるかどうかなんて、どこにも保証はない。

ライブ中ずっと、こんなに楽しそうな彼を見るのは初めてだなと思っていた。こんなにいい演奏をしている彼らを見るのは、初めてだなと思っていた。なんて楽しいんだ、なんて素晴らしいライブなんだって。それが、最後だから、って理由だったなんて。少し前から彼のプロフィールから「感傷ベクトル」の文字が消えていたことも、人知れずLINE@が消えていたことも、今まで出した作品の、今となってはレアな在庫たちが、たくさん物販に並んでいたことも、あんなに楽しそうだったことも、すべてが、すべてが最後だから、って理由だったなんて。そんなのあんまりだよ。

アンコール、椅子が二つ出てきた瞬間に、「お願いだから春川さん出てこないでくれ」って思っていた。春川さんが出てきたら、本当に終わってしまうと思った。だって、今までかたくなに出なかったのに、今回出たら、そんなのもう本当に「終わり」じゃないか、って。春川さんが出てきたって出てこなくったって、終わることに変わりはないのに。

青春の始末をリリースした時、感傷ベクトルが終わるのだと思った。でも、それは杞憂で、その先も感傷ベクトルは続いた。だから、大丈夫なのだと思っていた。あれを乗り越えたなら、もう終わらせる理由なんてないと思っていたから。あの時の予感が、まさか現実になってしまうなんて。初ワンマンとラストワンマンだけ売り切れるなんて、あそこで弦が切れるなんて、マンガにしたってできすぎだよ。

5年。ファン歴はまだまだ浅いけど、でも決して短いとは言えない時間を、彼らの音楽と一緒に過ごさせてもらった。わたしの中で、感傷ベクトルを思い出ボックスにしまえる日がいつになるのかはわからない。あんなに固かった涙腺が嘘のように、今でも毎日涙が出る。多分、もう一度感傷ベクトルを聴けるようになるまで、途方もない時間が必要になるだろうな。

でも、囁一さんがこれから作り出す音楽が、たまらなく楽しみなのも、まぎれもない事実なんだよ。人間・田口囁一にどうしようもなく惚れ込んでいるから、今更嫌いになんてなれないし、どうせ彼が新しく生み出す音楽も、たまらなく好きになるんだ。わかってる。それでも。

何百回何千回恨みつらみを書いても、未練がましいだだっ子にしかならないな。どうしても、「またね」が言えない。「今までありがとう」が言えない。本当に終わってしまう。
それでも、どれだけだだをこねたって、都合よく世界は終わってくれない。続きを生きるよ。あなたが作った、わたし自身で。

次に感傷ベクトルの音楽を聴くその日には、覚悟が決まったその日には、10/6のセットリスト通りに聴くって決めている。あの夜から始める。もう一度、音楽プレイヤーの中で、そして叶うのなら、ライブハウスで、彼らの音楽と再会できる日が来ますように。


そして願わくば、こんな我が儘な一ファンの未練がましい言葉に惑わされることなく、囁一さんが好きな音楽を作り、笑っていられますように。