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彼という人物



出会い

初めて彼と会ったのは、夏の終わりか、秋の始まりだったような気がする。

この日彼はウイスキーを飲んでいて、癖っ毛を靡かせ、へらへらと笑い、十分に酔っ払っていた。私はまさかこの日から1週間毎日、彼と会うことになるとは思っていなかった。

彼はアスファルトの上に寝転がり、友人が笑いながら手を差し伸べるなか、私は「じゃあ」と言って帰って行った。これが、初めて彼と出会った日。彼と私の物語の1日目だった。連絡先も、どこに住んでいるのかも、何歳なのかも、何をしている人なのかも、何も知らなかった。


何も知らないまま別れ、明日にはこんなこともあったなと思い出すこともないだろうと思っていた。


次の日、彼はハイボールを飲みながら、「菓子折り持ってきた〜」と言って、私の前に現れた。

私はとりあえず友人に、「なんかまた来てるよ昨日の人、こっち来る?」とLINEを送った。

その後、結局3人で一緒に酒を交わすこととなり、朝まで飲み明かした。

この日の会話はきっと、アルコールによって飽和されたどうでもいいようなことだったと思う。思い出せないけれど、私は何度もこの日に感謝をするために過去に戻る。


ありがとう、出会ってくれて。


高架下で

出張で来ていた彼と、1週間毎日仕事終わりに待ち合わせをして飲みに出かけ、そして彼が関東へ帰る日、私は二日酔いのまま、彼はキャリーケースを怠そうに転がして、真っ暗な高架下を歩いた。

この時私たちは、家庭を持つことについて話をして、結婚願望なんてものを持てるような生き方をしてきていない自分たちを一緒に笑った。

高架下を抜けると、朝5時だか6時くらいで、薄い水色の空が広がっていた。

私はきっと、この時”本音”で話すという経験を初めてして、嬉しかったのだろうと思う。嬉しかったから、誤魔化すように見上げた空の色を今でも忘れていないのかもしれない。


そうして、彼は帰って行った。
私たちはこうして出会って、思い出を積み重ねた。

コロナの時は、zoom飲み会やってみようだなんて言いながら、画面越しに檸檬堂を飲み、東京に行った時は、赤羽にある珈琲焼酎とやらを頼むところから始まり、騒がしい街の中で飲み明かした。今では二人とも、「もう酒弱くなりすぎてすぐ酔っ払うんだけど」なんてことを呟いたりもする。

私が三重県に住んでいた時も、福岡県に住んでいた時も、彼は遊びに来て、その時々の場所を二人で楽しんだ。


私たちの思い出というのは、色々な場所と、人と、酒と、そして、二人の過去でいっぱいなんだ。


恋愛なんて創作エネルギーに過ぎなくて、

私は恋愛をするたびに、彼という友人についての説明を強いられた。

いつも、なんて説明していたかは覚えていないけれど、でも私は内心、恋愛なんて創作のエネルギーに過ぎなくて、この恋愛と向き合うことによって私が救われるわけじゃないのにって思っていた。

それなのに、目の前の恋人は嫉妬という感情に必死になっていて、そういう光景が、この人は私のように命が脅かされる生き方はしたことがないのだろうと、そんな時に出会った人を命の恩人と呼びたくなるようなそんな感情を知るよしもないのだろうと思わされた。

でも別に良かったんだ。
もしも、海に恋人と彼が溺れていたらどちらを先に助けるかなんて、ありきたりなタラレバの話に答えたくもなかった。

だってそんなこと決まりきったことだから。

そう思うほどに、私は彼に救われていた。


私は彼と出会ってから、数回、恋愛をしていたけれどその度に、「まあやは、寄り添うってことができないんだね」なんて言葉をよく言われていた。

あー、生ぬるい言葉だよね、寄り添うって。

私さ、彼の前で何度も泣いたことがあってね、
そんな私に彼は”寄り添う”ということをしてくれていたのかな?

それが寄り添うことだとしても、慰めでも優しさでも、
私にとってはそれは、一生をかけて返す恩なんだ。


生死


彼は一度バイクの事故によって生死を彷徨ったことがあるのだが、それでも懲りずにまだバイクを乗り続けているし、仕事でもバイクを売っているし、休みの日にも知り合いのバイク屋で店主のおじさんに頼まれてバイク修理をしている。

私は、彼が厄年の時には特に、彼がまたバイクで事故ることがないように神様に祈っている。

「生きて、会おう」

なんて言葉を彼と交わしたこともあった。

生きている、
私たち、今も生きている。

失くしたものがあっても、やり残したことがあっても、こうやって生きていけるんだということを私は彼と出会って学んだのかもしれない。

ご縁は学び合いで生まれるという言葉がある。

彼にとって私は、どんな学びをもたらした存在だったのだろうか。

世の中には救えないものがたくさんあって、救えない人もたくさんいて、そんな中で私は彼に救われて。


「俺、あの時救われたんだよ」

いつかの電話で言った彼の言葉が蘇る。

学び合いではなく、救い合いのために、私たちは出会ったのかもしれないね。


私は、彼は、

健康診断でいつも痩せ過ぎという診断が出る彼は、最近筋トレをし始めた私に向かって、「俺も筋トレしなきゃな〜」と呟く。

私たちはもう出会ってから5年か6年ほど経過していて、こうやって思い出を綴る度に、確実に歳を取っていることを自覚する。


私はたまに、彼がいない世界というものを想像して、ジェットコースターのような中途半端な高さから戻って来れなくなるような不安を感じることがある。

それでも、私たち生きてこれたんだから、生きるしかないって思うんだ。


ポツポツと私の身の回りの人間が旅立っていく。
もう何度目かもわからないくらい訪れた馴染みのある葬式場で、私は涙を流したことがない。

皆が泣いている姿を見て、肩で呼吸する姿を見て、手を後ろで組みながら、ぐっと唾を飲み込む。

悲しくないわけじゃない。だけど、瞬時にもっと大きな悲しみを想像してしまうんだ。彼を失うという悲しみではない限り、私はこうやって堪えることができる。

それは別に、冷淡ぶっているわけではない。
生きているから、今を。

皆が当たり前のように、棺桶の中で眠る人たちの顔を触り、涙を落とす。その冷たさに、もう二度と動くことはないと思わせられるその温度に、また涙を流す。

私はそうやって、手を伸ばしたことがなくて。

花をそっと、足元へ添えたことしかない。

故人もきっと、泣いてくれよなんて思っていたかもしれない。


随分と月日が経ったあと、真夜中のベランダで、変な色をした月を見上げ、小さく息を吐きながら涙を流すことしか私にはできないんだ。

きっと人にとっては、私のこの在り方のほうが”哀しい”と思うのだろう。


これが私の精一杯の生き方なんだ。
私、彼と出会っていなかったらこんな生き方すら出来ていなかったと、本気で思うんだ。


最後に

なんか、何も考えずに書き始めたら、悲しさで終えてしまいましたが、病んでいるとかではないので、お気になさらないでくださいね。

恋愛している時は、彼のことを理由に何度も振られたことがあります。笑

ここで書いてるみたいに、私に寄り添う気がないと言われたら、まあそうなのかもしれません。一般的には恋人がいて、異性と遊ぶってどうなのという価値観があるのも理解はできます。

今は私はあまり自分のことをペラペラと話さないので、というかこのSNSの方が赤裸々に語っています。だから、友人関係に首を突っ込まれるということはないですが、でも、彼が大切だという想いは昔も今も変わらない、という感じです。


そして、大切であるという中身をなんとなく今日書いてみたくなったのです。

あー、こうやってお互い救われたって言い合ったねということを思い出しながら、書きました。

彼も私も、人を亡くすという経験の中、よく生きるということについて語ります。

今は、それがより一層リアルになったというか、死って生と隣り合わせだよなってことをひしひしと感じています。

彼は、獅子座のくせに、自我とか、やる気とか、頑張るということがない人で、私はどちらかというと、もっともっと頑張りたい、もっとこうやって生きるという意欲がある人間だったりします。


私が唐突に何を言っても、どこへ行っても、何をし始めても、彼は「へー、いいじゃん」と、返すのです。

友人、恋人、家族、そんなカテゴライズを超えた、大切な人の話でした。

今日も見てくれてありがとう!


p.s
てか今週が締め切りのnoteのコンテストに申し込む予定なんだけど、それはそれでまた別で書いてて、こうやって思い立ったことを書いてる場合じゃない、普通に。

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