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花火


「ねえ佐伯君」助手席のえり子は外の流れる景色を見ながら佐伯優太を呼んで「なんでこんなにお店ばかり並んでるの?」と質問した。佐伯は笑いながら「そういう土地柄なんだよ。」とゆっくり減速していく前の車に合わせて慎重にブレーキを踏んだ。都心から離れた新興住宅地の道路脇はたいてい国道に沿うように同じような店が平屋建てで進行方向に向かって並んでいる。

「なんでこんなに作れるの?」えり子は続けてまた質問をした。「この辺は何も無いから建て易いんだよ」と赤信号を見つめながら答えた。「どうして知ってるの?」えり子は運転席に居る佐伯に向かって身体ごと向きを変えて驚いたようにまた質問した。「前に」ちょっと区切って、いや、ちょっと詰まって「前に住んでたんだよ、友達が」と静かに前を見ながら言った。


夏休みが終わって転校生がやって来た。名前は杉本君。都内から「家庭の事情」ってやつで父親と杉本君と大きな白い犬とこの国道沿いの少し入った所にあった古い家に引っ越してきた。小学三年生の時だからあまり良く思い出せないけど話の最後に必ずへへって笑う子だった。お母さんが仕事でこっちに来れなくってお父さんと来たけど良い所だねって。へへって言いながら相手の方は見ずに視線を斜めにずらして話す子だった。犬を飼っている事と母親が仕事で忙しくてまだ都内に居る事とここは良い場所だって言ってたのは覚えてる。近所に何も無いから休日に父親と一週間分の食べ物を買いに行って休みが終わってしまう、そんな話もしてたな。杉本君はまあまあ学校に馴染んだ。そこそこ成績も悪くなかったし走るのも遅くなかったから変に注目されなかった。特に転校生だからって珍しがられる事も無くそのまま10月後半を迎えた。秋になるとこの辺は平原で大きく生えた黄金色のセイダカアワダチソウが国道沿い目一杯に生えた。杉本君は犬を連れてその野原で散歩していた。白い大きな犬がゆっくりとセイダカアワダチソウの中に入って行く所を何度か見た。夕方5時、遠く聴こえる鐘の音が響き渡り早くおうちに帰りましょうとスピーカーから童謡が流れた。小さな山と山に反響しておうちに帰りましょうと後から声が追いかけてきた。

ある日白い大きな犬が居なくなった。杉本君は知らなかった。この土地は10月後半になると毎年花火大会が行われる事。近所に親しい住民が居れば情報が入ったのかもしれないが引っ越してきて数か月父親も自分の事だけで一杯だったのかもしれない。犬は夜7時に打ち上げられた花火に驚いて鎖を引きちぎりどこかに行ってしまった。夕食の準備をしていた杉本君は父親に電話するも「仕事で早く帰れない」と言われ震える手で家の鍵を閉めて犬を探しに行った。どこに行ってしまったのか街灯も疎らな暗い散歩道で懐中電灯を握りしめドンドンと大きく鳴り響く空の下で犬の名前を呼んだ。呼んでも花火の音で杉本君の声はかき消され先日降った雨で野原はぬかるんで母親が買ってくれた新しいスニーカーが泥だらけになった。お腹も空いて寒かったので段々杉本君の唇は震えだし大声で叫んだせいで声が掠れて出なくなっていた。真っ暗な中方向も分からず気が付いた時には花火も終わっててセイダカアワダチソウの中に独りぽつんと立っていた。怖いと感じどこをどうやって帰ればいいのかも解らず呆然としたその時、セイダカアワダチソウがゆらりと大きく左右に揺れた。左右に揺れるセイダカアワダチソウは懐中電灯の光に照らされ黄色が派手に映り手招きしているようだった。揺れる方向に足を向けて歩き出し怖いながらも何故か揺れる方向に進むと国道沿いにポンと出た。家に帰ったら犬が門の前でお座りをして待っていた。その日父親は帰ってこなかったし夕飯の冷凍ピザはレンジの中で冷め切ってたけど犬と一緒に食べて一緒に布団の中で寝た。


「なかなか杉本君怖い思いしたのね」えり子は眼を大きくしながら佐伯に話しかけた。「その続きは?」その続きは信号の先にある大きな駐車場に停めてご飯でも食べながら話すよと佐伯は車線変更をした。昔ここがセイダカアワダチソウがあった野原だった事、小さな僕がまだ「杉本君」だった事、もうこの世には居ない大きな白い犬とあの頃なんとか一緒に生活をやり切った事。さてどれからえり子に話そうかな。もう国道にはあの家は無い。車を止めドアを開けた瞬間遠く鳴る鐘の音が聞こえた。

「おうちに帰る時間となりました。早くおうちに帰りましょう。」


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