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パフォーマンス・音楽・アートの扉_culture

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身体という物質性、知覚の直接性に興味があります。 目と耳、そして皮膚感覚。 それら刺激に満ちた世界。
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#アート

【映画評】 中村佑子監督『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』

1)終わりの始まり ドキュメンタリーを製作する監督の思考はどのようにあるのか、いつも不思議に思う。フィクションならば始まりと終わりがある。それがとりあえずのものであったとしても始まりがなければフィクションは成り立たないし、終わりも然りであるから、それらは明確にある。だが、すでに〈在った/在る〉ものを対象とするドキュメンタリーに始まりと終わりはあるのか。私という生は既に在りこれからも在るのだから、そこに始まりと終わりを設定するのは在るという事態に切断を施すように残酷な行為のよう

【美術評】 エリプシス|フィオナ・タン『リンネの花時計Linnaeus’ Flower Clock』を想う(金沢21世紀美術館)

花の時間は朝5時に始まり午後6時に終る。 花の明確な時間の流れと記憶。 花は忘却することがあるのだろうか。花は未来を想うことがあるのだろうか。そして過去を想うことも。 花はなにを憶えているのだろうか。 花は30年後もいまの自分を憶えているだろうか。そして30年後も憶えているであろう自分を思い浮かべることはあるのだろうか。 記憶と忘却は〈対義語=二項対立〉なのではないのではないだろうか。 世界は記憶と忘却との織物のようなものであり、記憶と忘却は時間の地形図のように幾重にも