マガジンのカバー画像

文学の扉_literature

10
文学について書くとは文字テクストによる文学テキストへの返礼。 なんて無謀な行為なんだ。
運営しているクリエイター

#映画感想文

【映画評】 告白の幾何学夢譚。ラウス・ルイス監督『ミステリーズ 運命のリスボン』、福永武彦『忘却の河』

わたしたちは過去という固有の時間(=物語)を持っており、固有の時間を告白することで物語は相互に交差しあうという現象が起きる。固有の時間(=物語)、それを記憶と名づけてもいい。 修道院に預けられた孤児ジョアン、彼には姓はない。姓とは出自の記憶であり、ジョアンには出自の記憶が隠蔽されている。 ジョアンが自らの出自に関する謎を探り始めるところからラウス・ルイス監督『ミステリーズ、運命のリスボン』(2010)は始まる。だが、謎を解くのはそう容易いことではないだろうし、不可能であるか

【映画評】 黃亞歷(ホアン・ヤーリー)『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』日曜日式散歩者

映画を見た帰り、京都の中京区にある寺町通りの喫茶店に立ち寄る。 ホアン・ヤーリー『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』(2015)の街並みは、古さの中の前衛という意味で、京都の寺町通りと繋がるものがあるように思う。南北に長い寺町通りの中で、とりわけ二条から丸太町に上ル区域。そこには、老舗の紙屋、茶葉の店、かつてはモダンそのものだった洋菓子店のある街並み。もしかすると、『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』の詩人たちもこの通りを歩いたかもしれない……そんな確証なん

【映画評】 青山真治『路地へ 中上健次の残したフィルム』 路地、層

和歌山県新宮市の被差別部落を舞台にした中上健次の短編集『千年の愉楽』(1982)。同短編集を原作とする若松孝二監督の作品に『千年の愉楽』(2012)がある。誕生と死、その中間二項である“生|性”。血にまみれて生まれ、血にまみれて死んでゆく3人の〝路地〟の男たちと、その生き様を見守る産婆オリュウノオバの物語である。 〝路地〟とは被差別部落のことであり、中上健次により名づけられた用語である。地勢的にも時間的にも、深度を纏った用語である。 中上健次が生前、失われようとする〝路地

【映画評】 レナーテ・ザミ『チェザレ・パヴェーゼ、トリノ - サント・ステファノ・ベルボ』『ブロードウェイ 95年5月』。声となり眼となり

ドイツの映画監督レナーテ・ザミ(Renate Sami 1835〜)の2作品『チェザレ・パヴェーゼ、トリノ — サント・ステファノ・ベルボ』『ブロードウェイ 95年5月』のメモを整理しながら、もし再見できればレビューとしてまとめたいと思っていた。しかし、ドイツでもマイナーな監督であり、まして、日本の地方に住んでいる者に再見の機会はそう簡単には訪れない。このままでは忘却の一途をたどること間違いないだろうから、筋道が見えないながらもメモを再構成し、記事として掲載することにしました