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お母さん

2021年2月23日。

私のお母さんが亡くなった。

卵巣からの腹膜播種の癌が分かってから2年と半年の闘病生活だった。

私は41歳。

国際結婚をしドイツに住んでいる。

まさか自分が41歳で母親を亡くす事になるとは

これっぽっちも想像していなかった。

そしてその最期に立ち会えなかった事も。

その知らせを日本で暮らす姉から聞いた時は

涙も出なかった。

とにかく葬儀はどうするかの話をしながら

"お母さんラクになったんだ、これで大好きなビールが飲めるね"とどこかホッとしたような気持ちだった。

大切な人(動物でも)を亡くした経験がある人なら分かるかもしれないけれど正直"亡くなった"と言う知らせを聞くより"今日も食べなかった"とか "吐き気が辛いみたい" といった弱っていく状況を知らされる日々の方が辛かった。

元気だった頃を知っているからどんどん変わっていく姿を見るのは本当に辛い。

姉との電話の後、自宅でもう動かなくなった母と一緒にいる父に電話をした。

"もしもし"と聞こえて "パパ?"と言った瞬間、受話器の向こうから咽び泣く父の声で姉と話した時はびっくりするほど冷静だった私もその時初めて泣いた。

ドイツの時間は夜中の1時過ぎだった為、主人を起さらないように声を押し殺すように泣いた。

どうしても言いたい事があった。

最初にこれを言いたかった。

"パパ、ありがとう。最期までお母さんを看てくれて、本当にありがとう"

"お母さんも感謝してると思うよ。病院じゃなく家に居られた事も。苦しまずに眠るように逝けたなら良かったよ"

嗚咽しながら途切れ途切れでも伝えた。

父もきっとその時ちゃんと声に出して泣いたのだと思う。

一緒に泣けて良かった。

"もうすぐしたら○○ちゃん(姉)が来るから後ちょっと待っててよ"

そう言って一旦電話を切った。

私は暗闇の中でしばらくぼーっとしていた。

お母さん。

そういえば昨日夢に出てきたな。

夢の中で自分のお腹に手を当てながら"なんか変なんだけど本当に元気になっちゃって。最近調子良いのよ、おっかしいでしょ〜?"と笑っていた母。

そうか。今はもう元気なんだ。

寝ている主人を起こさないように布団に入った。たくさん泣いた後だったので気持ちは落ち着いていたけどすぐには眠れず

お母さん、私のお母さんてもうこの世界にいないんだ。

そんな事を考えていたら毎朝4時に起きる主人のアラームが鳴った。




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