遠くの霊と生きること、「記憶」への柔らかい主観的体験の介入

昨夜、震災で生き残った人たちと死者の繋がりを記録し続ける、東北学院大の金菱清教授の研究に関する記事を読んだ。

幽霊譚のベースにあるのは生者側からの死者に対する認識であること、そして歴史の構築の過程に介入する側面を持つ「記憶」に混じる柔らかい(あるいは主流ではない?)主観的体験について考えていた。金菱清教授が行なっている研究は私にとって、3.11という日本のランドマーク的なトラウマに極めて個人的な体験が絡むことを「許す」ような内容に思われて、また、自分の中ある3.11を経験していない者であるという罪悪感から、震災を個人的な眼差しを通して見ることを拒んできた・怯んできた部分を、どこか緩ませたような気がする。

これまで、様々な学者が「記憶」とは社会的に構築された歴史的な物語であり、個人の記憶を消し変えたりする側面を持つということを言ってきている。アフロフューチャリストの学者であるカサンドラ・L・ジョーンズは、「個人/集団の記憶とは、場所、芸術作品/否か、日付、公私、有名/無名、実在する/しないに関わらず、過去の特定のランドマークを選択し、それ等に象徴的かつ政治的な意味を付与するもの」だと述べている。記憶とは反復的、多重的なもので、借用概念でもある。個人的で感情的な側面を持ち合わせるものの、記憶が歴史の境界線の外に存在することはない。

ということを頭では何となく理解しつつも、自分が3.11という日本に国家としての再構築を強いてきたトラウマ的「記憶」に関して、実体験を持っては何も言えず、またその「記憶」へのオーナーシップが一切ないと感じているという意識を、社会政治的的な文脈に置いて考えたことはあまりなかった。何がそう感じさせてきたのか。金菱清教授は、3.11の災害の記録が男性的な強いものが大きい気がすると述べていて、『女性や子ども』の記録として幽霊からの手紙や夢を記録している。また、震災から10年が経ち復興の名の元に過去をなきものとする圧力は年々と強まっているが、例えば自分が(執着的なほどの)興味を持っている、震災直後にブームを見せた「日本スゴイ」系日本賛美や、霊を死者として葬るのではなく、生者と共存するものとして扱う作品や題材に惹かれるのは、自分なりの過去を国の都合の良いように忘れてはいけないという意識が関係しているのかと思う。

思い出すことは、決して静かな内省や回顧の行為ではない。それは痛みを伴う回想であり、現在のトラウマを理解するためにバラバラになった過去をまとめることである。

ホミ・K・ババ, “Interrogating Identity”

3.11の時、私は家族から離れイギリスの学校にいた。もともとフワフワした人間だったこともあって、当時の記憶はぼんやりとしている。父が宮城出身の人で震災の時に丁度被害を受けた場所と遠くないところにいたので、家族は父としばらく連絡を取ることができなかった。あんなに強そうな父が死ぬ訳ないと思いつつも、父の死という可能性がじわじわと私の中で現実性を帯びてきた頃に父の安全が確認された。私が掲示板(災害で連絡が取れない人の情報を共有し生存安否を知ってる人が知らせてくれるといったもの)に書き込んだ父の情報を見た父の知り合いが、運転して住んでいるところに確認しにいってくれた、というようなことだったと思う。

その頃から、私のなかには漠然と日本が消滅するイメージがぽっかりと常にある。それは時に自分が家族だったり、ネットの知らない人に言われるように見方によっては自分が「日本を捨てた」側であること、また再度災害が起きて大事な人たちを失うのかもしれないのに、自分はまた生き残るのかもしれない、という罪悪感によって強化されているように思える。

水に囲まれるイメージや国が消滅するというイメージは、所謂アイデンティティアートというカテゴリに当てはまる私の作品や、書いてるものにもひょっこりと顔を出す。日本で育った人や日本との繋がりがある人には、その漠然とした不安感や恐れは説明せずとも伝わると思うけれど、日本国外にいるとそれが何を起因とするものなのか説明なしにはいまいち伝わりにくい。特に国の消滅というのは突拍子がなく聞こえて、しっかりした説明がないとわからないらしい。この間、日系カナダ人のアーティストの方と話している時「collective biological fear (集団的生理的な恐れ)」というフレーズを彼女が使っていて、それこそ「日本人」らしくない自分が持つ、日本との最も生理的で強い繋がりものなのかもしれないと思った。


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