諦めのうた
こんばんは、まーくんです!元気よくしても変な名前ですね!!
"この名前を何歳まで使い続けられるんだろう"と思うことがありますが、QuizKnockの渡辺航平さんが「こうちゃん」呼び/呼ばれを続ける年まではイケるという解釈で引き続き使い続けます。よろしくお願いします。
タイトルについて。
YouTubeのおすすめに出てくるような楽曲を聴いていてなんとなく思ったのが、最近の歌詞は何となく根底に諦めのようなものがあるのでは?ということです。
一番それをはっきりと感じたのは、友人から勧められた「ズーカラデル」というバンドの曲です。3曲挙げておきますので、BGMにでもどうぞ。
上から順に、「未来」「シーラカンス」「ノエル」という曲ですが、それぞれの歌詞で気になった部分を抜粋します。「~~~」は省略のマークだと思ってください。
「未来」では"自分は主役じゃない" "周りから無視されたって世界は回っている"という種類の諦めが伺えます。
また、「君のことをもう誰にも渡さない」なら陳腐ながら素直な愛の言葉に聞こえますが、この歌詞では「君のことを」などとは言わず、かつ「くらいに思っている」という付け足しが続きます。
最近の若い世代の特徴として、"失敗することを嫌い保険を掛けがち"という部分が話に上りがちですが、この歌詞はまさにそういった心情の表れのような気がします。
「シーラカンス」「ノエル」でも同様で、"愛が永遠"だの"ぼくらずっと友達"だの"嘘偽りのない言葉で"だのといった綺麗事を、やんわりと、しかしながらハッキリと否定しているニュアンスが伝わってきます。
これは別にズーカラデルに限った話ではないと思っていて、
例えば「フォニイ」を始めとするヒット曲メーカー、ツミキさんは一貫して厭世観のようなものを匂わせる歌詞を書いています。
"アイデンティティのようなものを見失ってしまった迷える人間には、「あたしって何だっけ」という問いすらも儚く消えてしまいそうだ"という歌詞の理解ですが、この"儚く消えてしまう"様子を表す比喩が「夜の手に絆されて愛のように消える」なんですよね。
愛というものが、"すぐに消えてしまうもの" "夜の闇の中ではもう信用ならなくなるもの" であるという前提をそれとなく示していると思っています。
こじつけにも近いですが、米津さんの新曲「KICKBACK」も挙げておきましょう。こんなんサンプルいくらあってもいいですからね。
「止まない雨はない」という綺麗事で雨はしのげないし腹は膨れませんが、同時にその状況を嘆き僻んで「あれが欲しい これが欲しい」と駄々をこねてみても最後に行きつくのは「ただ虚しい」という感情だぜ、というメッセージに感じました。
また、引用の前半は(曲のメロディーとも相まって)徐々に願い事が大きくなっているような印象を受けますが、後半はその逆だと思っています。
すなわち、「幸せになりたい」が、それが無理ならせめて「楽して生きていたい」。でもそれも無理なら……という、諦めの連鎖です。
"せめて" のつもりが最後に及ぶ範囲が「何もかも」になっているのも、危急に立たされている人間ならではの混乱と投げやりさを表していると思います。
このあたりは、この曲が書き下ろされたきっかけの作品である「チェンソーマン」に対する造詣が深くないと語れない部分もありそうですが(なお筆者はほぼ未読です)、今まさに何かしらの危機に瀕している人からした共感の度合いは高くなりそうな気がします。
そういった人間は常に選択を迫られていて、朝ご飯にジャムを塗ったトーストを食べることすら諦めて目の前の危機に対処しなければならない、という状況の中にいるのだと思っています。
前置きした通り最後は少しこじつけの感もありましたが、とにもかくにも「諦め」が根底に作用している価値観というものが、最近はグッと勢力を増している印象があります。音楽作品だけに限らず、社会全体として。
社会経済とか政治の話はここでしたいと思わないのでパスしますが。
「絶望の中で少しでも希望を見出す」とかではなく、「絶望的な状況を受け入れて、それを否定も肯定もせず"そういうもんだ"と諦めて進むしかない」という価値観は、今後どう転がっていくんでしょうね。
あと↑を語ってるコイツは誰でしょうね。
というわけで……
amazarashiでも聴こうぜ!!!!!
※このアルバムだと個人的には間抜けなニムロドとアダプテッドが好きです
相変わらず見出し付けるの忘れてダーッと書き連ねちゃった。テヘペロ。
おわり。
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