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スルースキルと感度の話

私はスルースキルがマジでない
失敗を繰り返し、自分比では多少はスルーできてるけど、やはりスキルがない事は認めざるを得ない

スルースキルのなさゆえに、人の言動に一喜一憂している
いや、大半傷ついている
相手は全くそのつもりがない、むしろ親切で言ってくれる言葉に、わざわざ自分から傷つきに行ってしまう
ドM

だから、スルースキルを身につけたいと思ってしまう
それには、アンガーマネジメントなどを勧められる
傷つくという感情を自分で自覚できないから、一次感情の怒りが先に来てしまう傾向にある私としては、アンガーマネジメントは必要ではあると思う

しかし
相手がいくら親切心で私を思って言ってくれてるからとしても、私が「傷つく」のはいけない事なのか?

アレルギーの人生しか送ったことのない私
アレルギーの子の育児しかしたことがない私
そんな私からしたら、現代で言うところのクソバイスをたくさん頂いた
その大半が、根拠があるのかすら分からない、その人自身の病気の分析であった
病院通いへの否定は多い
病気だから病院に行ってる、決して甘えや怠惰で通院してるわけではない
教えてくれるだけなら良いのだが、実践しないとダメみたいな雰囲気、なんなんだろう?
あれどうだった?とか
体調の管理不足、気の持ちよう、を指摘されると萎える
そのクソバイスにより、私が余計に体調を悪化させたら、その人は責任とってくれるのか?
事実、有名人がアトピーを治したと言うジェルで、私はアトピー悪化させたことがある
他の人には合ったのかもしれないが、私は真っ赤になりしばらく腫れた手で過ごした

人工透析が必要な人に透析をさせない民間療法?で死亡した事故もある、不登校の子の集団生活の場で手錠に繋がれて死亡した事故もある
相手はそんなつもりじゃなく、ただ親切で少し言うだけなのだと思う
けれど、↑のいずれも、発端は「人を助けたい親切心」から起きた事件だと思う

それを間に受ける私がただただバカなのだという自覚もある

最近気づいたのは、私はクソバイスをくれる人と感度が違うということだ
感度が違うから、噛み合わない
自分の感度が嫌で嫌で仕方なかった、コンプレックスだった
けれど、私はあまり人が気づかないことに気づけるというメリットもある
ただ単に、感じ方の違い
私は感度を直せないから埋められない溝

そういう人は放っておけばいい、というけど
そしたら、いつまで経っても病気の周知はされない

だから、怒りを出さずに伝える、そんな方法を身につけたい

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