見出し画像

シャイボーイ

息子と家に向かう車の中で会話をする。
今日は私の母、息子にしたらおばあちゃんについての事から話が始まった。
息子は母の事を名前を模して「あや」と呼ぶ事がある。私も息子に倣って呼ぶことが多い。TPОさえわきまえれば、割と差し障りが無い呼び方である。

しかし何の話からそうなったのだろう。
「あやってシャイじゃん」
と私が言った。
すると息子がいきなり色めきだした。
「ナイナイ。どこが。有り得ん」
確かに一見ちゃきちゃきして勝気そうな母だが、そうではない。
非常にテレ屋で、素直に喜んだり、気障なセリフが言えない。
自分の愛情を表現するのが下手だ。
しかし息子には、私の思惑は通じない。
「あんただってシャイじゃん」
次に言ったこの私の発言が、彼の受けの盛り上がりを決定的にしてしまった。
「ウチのシャイは脈々と伝えられるものだから」
「ええーっ」
息子の声が狭い車中に響き渡る。
息子は自分は決してそうではないと信じ込んでいるらしい。
「あんた、シャイはムッツリと違うよ」
「ムッツリって何?」
「それは…もう少し大人になると分かるから、今は分からなくてもいい」
また奇声を上げる息子。
コイツめ、少し楽しんでるな。
「あんたは明るいシャイだよ」
「そんなのホコとタテだよ」
何処で矛盾の故事成語を覚えたのだろう。
YouTubeかな。
「陽キャとシャイは両立するんだよ。ムッツリと違うし」
「ねー、だからムッツリってなあに」
その後、誰も彼もそう言えば恥ずかしがり屋では無いかと二人で思いめぐらした今日。
あー貴重な時間。私にとっては。

その後。
人気が無い大通り。
信号待ちで待っていると、眼の前の横断歩道を男女二人組が歩いて行った。
堅気では無い風貌のゴツい男性に、派手な鞄を持った、裾の少し広がったパンタロン風の白いパンツを穿いた小柄な女性。二人とも壮年だ。
ただ、彼らは歩調がぴったりであった。
それも横断歩道を渡り終わった後まで。夜に浮かび上がった女性の洋服の白色を、私はうっとりと眼で追ってしまった。
きっと女性は少し大股で、男性は少し歩幅を狭めて、同じことを考えて歩いていたんだろう。無意識の二人のリズム。それで無ければ、あんなにずっと、ぴったり行かない。
私の場合、それが分かると微妙に相手の歩調から自分をずらしてしまう。シャイだから。