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喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~16話

「つまり、本当の父親じゃないってことですか?」

 僕らは再び四人掛けの席に座りなおしている。但し、面子は先程とは若干異なりパンチの席には彼女の母親が座っていた。

「はい。彼は東雲治郎。先ほどそれを連れて行ったのが夫の一郎で……その死別した最初の妻との間の子、といいますか」
「えーとそれは要するに、え、ああ本当に『妹』だったんですか?」

 頭の中で暫く考えて漸く理解する。
 先ほどのスーツの男性は大分年が離れているが、この中年女性と結婚してゆいかちゃんをもうけたらしい。つまりパンチは年の離れた腹違いの兄妹、ということだ。

「私は東雲かおりと申します。あの、治郎は夫が昔に勘当したのですが、最近どうやらゆいかに目を付けたらしく――その連絡を取っていたらしいのです」
「つまり――ゆいかちゃんは彼に唆されて家出を?」
「ねえゆいか、どうしてあんな人と一緒に行動したの? すぐわかったでしょう? どうしようもない人だって」

 彼女は口を尖らせて詰問する。ゆいかちゃんは言い辛そうに横を向く。

「すいません。お待たせしました」

 その時先程治郎と出て行った初老の男性が戻ってきた。

「初めまして。東雲一郎と申します」

 そう言って彼は深々と礼をした。

「あの、治郎……さんは?」
「今頃たっぷりと私の知り合いに説教されている、と思います」

 よく観察すると彼のスーツの下はぴちっとして、筋肉が詰まっていることが見て取れる。武道か何かを絶対にやっている、そんな人間だ。その筋で有名な――と言われたら納得できるだけの説得力のある身体つき――もしかしたら本当に危ない人かもしれない。

「さあ帰ろう。ご迷惑をお掛けしました」

 そう言って彼はゆいかさんの手を引こうとしたが、ゆいかちゃんはその手を払った。

「……やだ」
「ゆいか!」

 彼の怒号が店内に響く、が――。

「お話を、聞きませんか?」

 涼やかな響きを持った雫さんの問いかけがそれを打ち消した。

「ゆいかさんがどうして家出をしたのか、もう一度、彼女の口から聞くべきです」
「……そんなこと、どうせ身勝手な……」
「そうよ、いきなり置手紙をして『一人で生きていきます』なんて……」

 確かに少し気難しそうな点を除けば普通のご両親だ。全てを捨ててまで家出をする理由になるのだろうか?

「僕も不思議だよ。どうしてあんな横柄な男に従ってまでこんなことをしたんだい?」

 僕の問いかけに、彼女は俯きながらも口を開いた。

「――最初は、普通の人だった。優しかったし、私の悩みも聞いてくれたし、それで――」

 騙された自分の子を見つめる両親の目には哀れみの感情が浮かんでいる。しかし、雫さんは違った。

「その悩みを解決する為に――したのですね?」
「悩み?」
「――お見通し、か」

 諦めたように彼女は両親の方へと向き直った。

「――だって」

 ゆいかちゃんは目に涙を溜めている。

「だって、私が家に戻ったら、二人は離婚しちゃうから」

 話を聞けばこうだ。
 ゆいかちゃんのご両親には離婚問題が持ち上がっていた。そして、どちらが親権を持つかで揉めていたらしい。そこに付け込んだのが金に困っていた治郎だった。彼の話を聞かない一郎さんからゆいかちゃんをだしに最終的に金を踏んだくる計画だったらしい。僕から金を取るのはゆいかちゃんに自分の犯罪の手助けをさせ逆らう気をなくさせるのと同時に、小遣い稼ぎだった。ゆいかちゃんはその過程で結局良心の呵責に耐え切れなかったようだが……。

「自分が帰らなければ、二人は別れないと思ったの」

 自分の親権を決める、その存在がそこにいなければ二人は別れようがない。いつ家に帰って来るか分からぬ娘を待ち続ける為に二人はそこに居続けるはず――。

「……なにを、馬鹿な」

 彼女の説明を聞いた一郎さんが苦々しそうに呟く。

「これは夫婦の問題だ! お前が口を挟むことじゃ……」
「違うもん!」

 父の言葉に彼女は涙ながらに反論する。

「私の家族だもん! 何があったか知らないけど、私は二人が大好き! ずっと、ずっと一緒にいたかったんだもん!」

 流石の強面もその反論にたじろいだ。思わず夫婦はお互いを見つめ合う。

 パン。

 気持ちのいい音が店内に響いた。雫さんが手を打ったのだ。

「そこまでにしましょう。続きはゆっくりと『家』で、ご家族で話し合うのが良いと思います」
「……あ、ああ」
「そうね……」

 狐に摘ままれたような顔で夫婦は頷き合う。
 ゆいかちゃんは雫さんの前に踏み出して、頭を下げた。

「……ごめんなさい。あと、ありがと」
「いえ、何もしていませんので」

 全ては――貴方が決めたことですから。
 そう言って彼女は懺悔室の方を見つめた。
 彼女たちは連れ立って、まるで問題を抱えているとは思えないくらい普通の家族のように――店の玄関を出て行った。僕と雫さんはそれを玄関から見送る。

「あの――」
「はい」
「いつから気付いていたんですか? 彼女の家出の原因とか……」
「彼女にデート中に来たスマホのメールやラインのやり取りを訊ねたでしょう? あれはきっと、そういうことなのかと思ったのです」

 あの文面、帰って来い云々の話はこういうことだった、ということか。ご両親から彼女に対しての……。ここで僕はどうして美人局の話を彼女が持ち出したのか気付いた。

「アブラハムの話は、ゆいかちゃんを説得するためにしたんですね?」
「そうです。それしか、ありませんでしたから」

 彼女は淡々とそう答えた。

「この問題は彼女が決めねば解決しないのです。自らが求め、真実へと向かわなければなりません。ですから『妹』を食い物にする男の話を例に出したのです」

 パンチこと治郎ではなく、横にいるゆいかちゃんを説得するためのたとえ話だったというわけだ。その結果彼女は懺悔室で雫さんの説得を受け入れ両親に電話をしたのだ。

「彼があの場にいるのでは直接語り掛けるわけにはいきませんでしたから。ならば、ああいう方法で訴えかけるしかないかと思いました。その後の時間稼ぎがどの程度功を奏するかは神のみぞ知るところでしたが、主はお見捨てにはならなかったようです」
「雫さんのお陰でしょう。僕だけではとても……」

 僕だけでは彼女を説得しきれたとは思えない。彼女は嫌な奴の傍にいても、それでも尚、両親の離婚の阻止を選んでいたのだから。

「いえ、礼人さんのお力もあったでしょう。彼女に真摯に向かい合った結果でもあると思います。色んな事象が絡み合った結果、その糸が依り彼女を救った、そう考えましょう」

 それにしても――。そう彼女のことで気にかかることがあった。東雲ゆいかのことではなく、雫さんのことで。

「いや……それよりも、本当にびっくりしました。その、お金を……」

 僕の為にポンと用意されたあのお金。彼女の貯金なのだろうか?

「ああいえ、あれは、私のものではないですから」
「え、じゃあ尚更まずいのでは? 誰かに借りたとしたら……」
「いえ、あのお金はもう、使い道のない過去のものです。お役に立てたのならそれでいいのです。財は、生きている人の為に使うものですから」

 それだけ言うと彼女は何事も無かったかのように軽やかな足取りでカウンターの中へと戻っていく。その足取りと裏腹に、僕は彼女の言葉がずっと引っかかっていた。どうして僕なんかをここまで助けて下さるんですか? その質問が愚かだということはよく分かっていた。

――奪われたことがあります。

 何か、とても大事な者を、彼女は失っている。そこにその答えが、ある気がした。そしてそれは僕が訊ねるのではなく、彼女が語るのを待たねばならないのだとおぼろげに感じていた。

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