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まっすぐ

私の名前の由来は「まっすぐ歩く」である。

昨日上司にまっすぐな人だと言われて、本当に感じてくれたのか名前から引用されたのか分からないけれど、その表現が嬉しかった。

そのことを大切な人に話したら、確かにあなたはまっすぐだと言われた。まっすぐなのが羨ましい、自分もそうなりたいと。

そう言われた時、定規のようなまっすぐさは時に人を傷つけてしまうから、まっすぐになれないあなたは臆病だけど優しいんだとも思った。

私のまっすぐさが一見悪い形で現れている例として、場が凍ることを簡単に言えてしまうということが挙げられる。「この人の前では言っていい、なんでも認めてもらえるんじゃないか」という、周りへの期待や甘えからだ。

その甘えられる状況を作っているのは自分自身だ。
ファーストコンタクトから、相手の話を聞き出し自分のことも伝えて安心させて、仲間をどんどん広げる。しかしこれは相手に興味があるからではなくて、その先に「自分が甘えられる、まっすぐ生きられる世界を作りたい」という動機がはっきりとある。
(先日、他人に興味がありそうなふりをするけどないよね、と言われて、その通りだなと納得した)

私はATフィールドが殆どない人間だと自認しているが、過去の経験から乗り越えた部分もあり上記のように意識的に無くしている部分もある。


私が持っているのは定規じゃなくてピンと張った糸のような脆いまっすぐさだから、簡単に歪んだり絡まったりして、いきなりプツッと切れることだってある。
これまで生きてきたのは、自分の脆い部分を指先で感じて、一生懸命に糸を解いて張り直し続けてきた作業だったように思う。


それを繰り返して、いつまで経ってもはっきりと心の底から自信を持つなんてできないけど、自分の行動指針は名前の由来だからといって他責して、そしてこうやってまっすぐに公に心情を公開したりする。


もうあと数本、糸がほしいなー


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