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「逃げる」ことの大事さと危険さ

ご無沙汰しております。まるです。
今回は、インスタグラムであるストーリーを投稿したところ、さまざまな反響をいただき、ちょっと色々と思うところがあったので、僕の思いを書くことにしてみました。

あくまで僕個人の見解です。
なので、「ああそういう考えね」程度に思っていただければ幸いです。
しかし、こうして発信する以上、何かしら反論があることは想定しております。

もしコメントがございましたら、ぜひこの記事か、Instagramまでお願いいたします。

1.どんなストーリーを投稿したの?

そもそもどんなストーリーを投稿したか、というのをまずお話ししますね。

ある日、たまたまTwitterのタイムラインで見かけたあるツイートを見て、その内容が僕的には社会人としてありえないことだと思い、「いやこれはあかんでしょ!」と強く思ってしまい、
そのツイートのスクショに、「いやアカンでしょ!どう考えても!」という僕のコメントを添えてストーリーとして投稿しました。
Twitterのスクショに関して個人が分かる部分(アイコンやユーザー名など)はもちろん消して投稿しました。
ですが、すでにTwitter上で1万RTほどされていたので、僕のInstagramのフォロワーさんの中には、もしかしたらTwitter上ですでに見かけていた方もいたのではないかと思います。

ではそのツイート内容はというと、ざっくりこのような感じです。
「会社に出勤せず、そのまま沖縄に来てしまった。同僚や上司から多くの連絡をもらっているが怖くて見れない。お世話になった人を裏切ってしまった。これから先のことは決めていないが、1〜2週間後、謝りに帰るか、樹海に行くか、どちらかだ」
そして、飛行機内から撮ったと思われる写真と、多くの人から連絡が来ているLINEの通知画面(個人情報にはぼかし)がツイートに添付されていました。

2.いただいた反響

なぜ僕が「いかん!」と思ったかは後述しますので、先にいただいた反響をお伝えします。
本当にさまざまあったのですが、代表的なところで言うと、

「社会人として、何の連絡もなしに逃亡するのはありえない」
という、ツイート主の行動を責めるような反応。
「その行動力に驚嘆(感嘆)した。」
という、ツイート主の行動力に驚いたり、賛辞を送るような反応。
「逃避行動ではあるものの、思考が出来ていないので、結果的に周りに多大な迷惑を与えてしまっている」
という、第三者的視点から分析するような反応。
「すでに(こんなことをしたら大変なことになるといったことを)『考える』ことが出来ていない危険な状況だ」
という、ツイート主が危険な状態であることを唱える反応。

以上のような反応をいただきました。
どの反応も、僕としてはうなずけるのですが、僕の考えとは違うなとも思いました。

3.僕の経験

僕は、実を言うと「逃げられたこと」と「逃げたこと」どちらもあります。
去年末に上げたnoteをご覧になった方は、もしかしたらご存知かもしれません。
どちらも簡単にまとめます。

「逃げられたこと」

僕がまだテレビ局にいた頃、いわゆる中間管理職的なポジションにいた時がありました。
中間とはいっても、当然実務もたくさんあるので、上と下の様子を見るだけではなく、さまざまな業務を抱えているような状態でした。
それでも、上司とも後輩とも仲良くやっている、つもりでした。
そんな中、ある一人の後輩が突然いなくなってしまいました。
本当に行方が分からなくなり、探しました。
最悪の事態を想定しました。
結果的に連絡がつき、その方は無事でしたが、その後、関わってくれていた番組に戻ることはありませんでした。

あの日を、忘れたことはありません。

「逃げたこと」

そんな経験をした後、別のテレビ局にうつった僕は、そこで適応障害になりました。
その原因は、書くと長くなりますが、一言で言うならば「人間関係」でした。
実際に体にも異変をきたし、職場では何も食べられなくなり、解放されると狂ったように酒を飲むという、健康的に本当に良くない毎日を送っていました。
メンタルクリニックに行ったところすぐに適応障害だと診断され、それを上司に伝えたところ、ある日突然「来週から来なくていい」と言われ、退職しました。

頭で「ここにいてはいけない」と分かっていても、見えない何かに押し潰され、それがプレッシャーとなり「辞められない」という悪循環に陥っていましたが、
「適応障害」という四文字が書かれた紙を持参するだけで、結果は大きく変わったのです。


4.僕の考え

上記のように、僕はどちらの側にも立ったことがあります。
そして、僕は逃げることの大事さと、危険さを学びました。

逃げるというと、なんだか自分が弱いように見えますが、とんでもない!
生物である以上、逃げることは「自分を守る最も効果的な手段」であり、
かつ「自らや周りの状況を客観的に見ることが出来ている」という、社会的動物としての側面も存分に活かしきれている行動であると僕は思います。

「逃げる=逃避」の根源は「生きる」です。
生きるためには必要な行動なのです。だから、とても大事なことだと思います。

結果的に番組には戻ってこなかった方は、今は別の番組で活躍されているそうです。
僕は今はフリーランスとして、自分の夢に向かって少しずつ前に進めています。

どちらも、正しく逃げたからこそ得られた結果だと、心から思っています。

では、なぜツイート内容に対して僕は「いかん」と思ったのか。
それは、正しく逃げていないからです。

厳密に言えば正しい逃げ方などありません。その環境から脱することができればそれでいいのです。
しかし、それは社会的動物である人間、それも社会人と呼ばれる僕たちがやっていいことでしょうか。

もし、僕が病院にもどこにも行かず、突然失踪していたら…。
きっと上司らは血眼で僕を探すでしょうし、当然親族にも連絡がいきます。
その間にも仕事はあるので、残った人たちは、一人欠けた状態で仕事を進めなければいけません。
では、それによって誰かが過労になったら?
別のストレスを抱えて仕事ができなくなったら?
何かのタイミングが重なって、重大なミスが発生したら?

当時の僕は、本当に思考停止状態でしたが、結果的に正しく逃げられたのだと思います。
メンタルクリニックという、それまで一度もお世話になったことのないような場所に、フラつくようにして逃げていったことは、間違いではなかったのです。

後輩の方も、結果的に連絡をくれたことで、無事が確認できました。

しかし、ツイートの内容はどうでしょうか。
何の連絡もせず沖縄に来てしまっており、これは逃避の中でも失踪に近いです。
添付されていたLINEの通知画面には、「しんどかったら休んじゃっていいからね」といった、優しいような言葉もあります。
ツイートには、「裏切ってしまった」という言葉があるので、きっとご本人もまずいことをしているとは分かっているのでしょうが、おそらくもう思考が回らずこのような行動をとってしまっているのだと思います。

この方が、仕事上どれだけの立場にいらっしゃったかは分かりませんが、少なくとも一人欠けた状態で業務は進んでいきます。

残された人々にも、先ほど述べたような新たなストレスが加わってしまうかもしれません。
これでは、正しく逃げたことになってないと思うのです。
だから「いかん」と思うのです。

もう少しざっくばらんに言えば、
自分を守るためにも、正しく逃げることが不可欠なのです。
正しく逃げさえすれば、自分を守る手続きができ、堂々とストレスから解放されます。しかし、その逆は…。

何度も言います。
逃げることは大事なのです。そして、人間である以上、正しく逃げられないとむしろ自らを危険に晒すことになります。
逃げたくなったら、正しく逃げましょう。

最後に。
このツイート主さんが、今現在どうなっているかは分かりませんが、
こうしてツイートして、何万RTもされてしまい、結果的に職場の人に見つかってしまうのではないでしょうか。
望まぬ結果にならないことを祈ります。

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