11年目を向えて

こんにちは、まーさんまーです。

東日本大震災で亡くなられた方、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
今回は、3.11は過ぎてしまいましたが11回目の3.11を迎えて未熟な僕なりに思った事を書こうと思います。
様々なご意見はあると思いますが、優しい目で見て頂けると嬉しいです。

僕は震災当時小学3年で岩手県の沿岸部、大船渡市に住んでいました。
幸い家と家族は無事でしたが数日間は車中泊をして、スーパーやコンビニは行列で食糧が手に入らない時もありました。
当時情報源はカーラジオとワンセグのテレビだけ。子供の僕は次々流れてくる情報をただただ聞き流していましたが、母親の張り詰めた表情で「とんでもないことが起きている」という事を理解しました。
数週間後、市内の津波被害の激しかった地区と隣の陸前高田市へ行き、被害の光景を自分の目で確かめることが出来ました。
瓦礫をとりあえず避けて作った道、住宅地だった場所に打ち上がった漁船など見た事ない光景に言葉は出ませんでした。
さらに時間が経って復旧が始まると街全体が埃っぽく、時には腐敗臭がして道端には大型トラックによる砂や塵が溜まりマスクが必要な時期もありました。

今は岩手を離れて生活をしています。やはり10年を過ぎたあたりから震災の報道などは薄くなっていることが感じられるし、報道だけでは補いきれない事実もあります。
僕なんかが言っていいの分かりませんが、だからこそ少しでも震災の事を伝えていかなくてはならないと思います。

今僕には抽象的ながら「まちづくりに関わる」という夢があり、震災の経験を少なからず活かせるチャンスがあります。さらに、震災の経験を無駄に出来ないという気持ちもあります。そのため、可能な限り被災地に足を運んで自分で何かを感じ取ったり、このように発信をしたりと出来る事をしていこうと思います。
そして、皆さんには2011年の3月11日に起きたことを時々思い出してほしいと思います。

言葉足らずで、汚い文章ですが読んでいただきありがとうございます。
がんばっぺし岩手
がんばっぺし東北

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