〜27歳から始めた修行その3〜
Maa2です。
想像力の大切さとかに気づいたところからの続き。
想像力ってなんだろう〜と考えてみたときに解像度の具合って大事だと感じた。
例えば、泣いている人を想像してみる。
想像できたらそのイメージだけをヒントになんで泣いてるか当ててみる。
めっちゃ難しいじゃろがい。
なんか例えばその人物は小学生で卒業証書もってる帰り道だったら?と情報を足してみる。
ああ、なんだ。卒業して友達と離れるとかが寂しくて泣いてんだなあと。
これが解像度だと思う。
実際のイメージを抽象化して「泣いてる」に落とし込んで、それをダンスにしようとすると途端に陳腐な表現になる。
ので、音楽を聴いたらストーリー、1エイトか2エイト以内に色とか登場人物とか情景とか具体化してイメージできる練習をした。英語わかんないし大体あってないけどそれでいい。
感情表現ってリアルさが入ると共感の具合も変わるよね。
なんかガチっぽいことを必死に書いてしまったが、ワロスな練習もたくさんした。
腕振るときにめちゃくちゃリズムに集中しすぎてこの顔になる癖があった。
ので、どうせいつも動かす部分は少しでも余裕持てるように九九とか九字とか唱えながら腕振ったり、ステップ踏んだりしてた。
そしてもう腕の振り方とかも全然覚えられないから、自分で式作ったり、種類分けたり、体の中でいくつ点を意識するとポージングが固まるか、腕の中でいくつ点を意識すると滑らかなニュアンスになるか、とか空間を作って表現に染める、とか教科書見たいのを作っていろいろ試した。
このあたりの難しい話はインスタで宣伝してる月に一回の「waack研究会」で教えている。教えているというか勝手に語っている。待ってるぜ!(ダイレクトマーケティング)
んで後は、毎日毎日雨降っても雪降ってもインスタにその日の納得いく1ムーブの動画あげてた。
最初は毎日頑張っててすごいね〜と褒められたが、数ヶ月経つと何も言われなくなった。褒められるのは嬉しいが、それを原動力にすると終わるぞおおお!自分に言い聞かせて毎日毎日続けた。
褒められるためにやってるんじゃなく、木の葉を潰す過程としてやっているし、この程度を努力と呼んでるうちはダメだ!とか考えて萎えたりもしたが、「今日の萎えてる自分」の演技とかして結局楽しかった。
結局楽しくて、周りの助けがあって続いたんだと思う。
まだまだ書けそうだけど、とりあえずまた気が向いたら。今後はもっと実益ありそうなことも書けたらいいな。
続けた結果、松はどうなったのか。木の葉の里は潰せたのか。また今後の本編にて。次回から再びヘタレの奮闘記へ。
じゃあの。
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