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スシローの間違い探し、想定よりもだいぶ"間違っていた"件

Maa2です。
先日サイゼリヤの間違い探しにて、絵の中の間違いだけでなく、人としての"間違い"をみつけてしまった記事はこちら。

この日におよそ3年分は間違いを探した自信がある。あんなにレタスの絵をまじまじと眺める必要はもうない。
もう俺は間違いを探さない。そこに確かにある"正しさ"をね、受け入れて生きていく、そういう結論に、ですね。至ったわけであります。

清々しい気持ちで回転寿司を食べ、食後にカフェラテを注文。口の中をスッキリさせて退店するのは最高の気分だろう。
しかも間違いも探さなくていい。最高に"ハイ"ってやつ

だアアア!!!???
ウソだろ?

サイゼリヤ、お前達の間違い探しの難易度は異常だったが…わかる…。誰もが注文前に見るところに問題を置いとるわけだからな…。

ただしスシローテメーはダメだ。
カフェラテを飲もうとする時にこれ見せるってお前…どういう…。

ここまで考えてMaa2、不戦敗を決意。
なんで食後のカフェラテで本気を出さなければならないのか。

そう考えた瞬間、ジョジョ5部に登場した"アバッキオの友達"が俺の心に囁いてきた。

危なかった。
サンキュー、アバッキオの友達。
大切なのは結果ではない。
過程も含め「真実に向かおうとする意志」であると学んだはずなのに。
俺はスシローの間違いを正す。

真実に向かうのはいい。

でもこれ

が、画像で見ると幾分マシだけど、肉眼ではラテ頼んだせいでそもそもの絵がよく見えねぇ。

間違いもだけど正しいところもよく見えねぇ。

「とりあえず見づらいけどラテ飲みながら気長に探すか~」と思ったけど

これ多分飲んだら透明なカップのせいで今より見えなくなるよね

この時点で間違いを見つけ切るまでカフェラテを飲めなくなった俺

諸葛孔明過ぎる。ここが五丈原ならこちとら憤死しとるわ。

スシロー「間違いを探させない、ラテも飲ませない。お前ごときに両方やるというのはそうムズかしい事じゃあないな」

オラァ!

大人を舐めるな
この時の俺

そんなこんなでようやく間違い探しスタート。

憤ッッ!!!

むしろ間違い探しというか正しいところの方が少ないという、ある種の人生への問題提起のような戦いであった。

俺が勝利の余韻に浸ろうとしたとき、気づいてしまった。

嘘だろ?6つって言ったよな?

今7つあるけどどうする?

危なかった。

秒殺だったとはいえ、6つ見つけたところで脳汁を出し尽くし、気持ちよくなってしまうところであった。

「間違いは6つです!」という説明事態の間違いに気づけず、

6つ見つけて気持ちよくなっている奴らを眺めるのがこやつらのやり方か?

結局この後、脳汁も出ないまま、この謎授賞式の絵を眺めつくして食事を終えた。

7つある間違いのうち、一つは「間違っていない」とでも言うのだろうか。
いや、そもそも「間違い」とはなんなのか?
正しい、間違っている、などと決めつけてしまう現代人へのメッセージではないだろうか。

俺はスシローからのメッセージに感動し、心豊かにカフェラテを飲み切る。
そうだ、何が正しい、何が間違っているかを主観で判断することなどおこがましい。
スシローは俺たちに人生を教えてくれたのだ。

スシローに対し熱い尊敬が湧く。
そう、今後寿司を食べたい時に行く店は決まった。

当然この店である。

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