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【留学記】ガウンを着て、キャップをかぶった日

どうも。ma-nyagoです。
『【留学記】米高校生活での一大イベント:プロムダンスパーティー』の続きです。

5月は卒業式シーズン。
アメリカの卒業式は、日本の卒業式とは少し違った風習がある。
卒業にちなんだ話をしてみたい。


Class of 1991(1991年卒業生)

同時期に、私の他にも留学生が編入していたので、まずは彼らについて少し思い出してみたい。

私は1991年の卒業生(”Class of 1991”)。
この年度の卒業生は24名で(小さな町だったので、クラスメートも少なかった)、そのうち私を含めた3名が、YFUを介した他国からの留学生だった。
その3名とは、ノルウェー出身のHelga、メキシコ出身のXenia、そして日本出身の私。

Xeniaのホストファミリーは、私がお世話になっていたジョーンズ一家やハンブリン一家の近くに住んでいたので、放課後もよく一緒に遊んだり勉強したりしていた。
私があげた羊羹を彼女が美味しそうに食べた時の感想を、今でも覚えている。
『すっごく美味しい!メキシコでもこういったお菓子あるよ!』と。
メキシコ料理には大豆を使ったブリートがあるので、大豆の食品はメキシコ人の彼女にも馴染みのある食べ物だったに違いない。

第二か国語としてスペイン語のクラスを取っていた時、スペイン語を教えてもらったりして、彼女には大変お世話になった。
分かりやすく教えてくれたので、今でも少しスペイン語のフレーズを覚えているのは、彼女のお陰かもしれない。
Xeniaは笑顔がとってもかわいい美人さんで、ウェーブのかかった長い黒髪の女の子。
優しくておっとりとした雰囲気が、とってもチャーミングだった💛

もう一人の留学生Helgaはノルウェー出身で、英語はほぼ完ぺきに近いくらいの人だった。
Helgaは留学当初から英語に不自由していない印象で、とても優しい話し方をする人だった。
ある時、英語の上手さについて話す機会があったので、聞いてみた。
すると、『英語は昔から話していたけど、自分の英語が現地で通用するか試したくて留学した』と言ってた。
十分すぎる英語力のように感じたが、人それぞれ感じ方は違うということだ。

彼はクラブ活動にあまり参加していなかったので、接点はそれほど多くなかったが、いつも女の子に人気だったのを覚えている。
Helgaも笑顔がとっても優しくてカッコいい、背の高い金髪ナイスガイだった😃

卒業に向けての準備

私は現地の高校3年生の学年に編入したので、翌年の卒業式に出席できた。
卒業式用のパッケージみたいなものがあり、それを購入することになった。
そのパッケージに何が含まれているかというと、大まかには次の4つだったと記憶している。
まだ他にもあったかもしれないが、30年前の話なので、やっぱり記憶は曖昧💦

・親戚家族や友達に郵送する卒業式の招待状
・卒業式の式服一式
・Seniros(スクラップブックで、たぶんこれもパッケージの一部だったと思う)
・卒業式の式服を着用しての卒業写真(卒業生集合写真、卒業証書を持った卒業生のポートレート写真(事前撮り)、卒業証書授与時の写真、の合計3枚)

卒業式の招待状
招待状の文面

招待状が色褪せずに、綺麗な状態で残っていて良かった!

卒業式のガウンとキャップ

アメリカの卒業式では、四角い板みたいなものがついた角帽をかぶり、長い式服を着用する。

この式服の正式名称は、"Academic dress"(アカデミック・ドレス)、通称"Gown”(ガウン)である。
ガウンは正面で閉じるタイプが一般的。
ガウンの下には、ワンピースやスーツなどを着用する。

角帽は、"Academic cap"(アカデミック・キャップ)と呼ばれる。
キャップに付いている房飾りは”Tassel”(タッセル)。

タッセルは卒業式が始まる際は右側に垂らし、卒業式の終了時に左側に垂らす。
このタッセルの移動で、「卒業した!」ということになるらしい。

アストリア高校のスクールカラーは、「紫とゴールド」。
ガウンとキャップは紫色で、タッセルは紫とゴールドだった。

憧れていたスクールリング

これは卒業関連グッズといったものになるだろうか。
ジュニア・シニアの学年が購入していたように思う。(この辺も記憶が若干あいまい💦)

スクールリングには、実は留学する前から憧れがあった。
カタログを見て、『やっぱりほしい!』と思ったのを覚えている😃
少々お値段はしたが、親にお願いして購入させてもらった。

フェイクサファイアの周りに"Astoria High"の文字が刻まれている。
リングの内側には私のフルネームが刻印されている

指輪の素材は、シルバーとゴールドだったと思う。
私はシルバーのリングをチョイスした。

上から見たスクールリング

指輪のデザインも様々で、私は「葉っぱ」のモチーフに2つの小さなフェイクダイヤモンドが入っているデザインにした。

真横はこんな感じ

石はすべてフェイクだけど、それでも光にあてるとキレイに光る✨
アンティーク感があって私はとても気に入っているので、ジーンズやラフな服装の時につけている。

スクールリングにもはめ方があって、卒業するまでは高校の名前が「上」になるようにはめる。
卒業後は、”High”が「上」になるようにはめるんだとか。
面白いね😃

ガウンを着て、キャップをかぶった日

卒業式は、1991年5月25日の夜19時から始まった。
場所は、アストリア高校体育館。

体育館に式典会場が設営されていて、卒業生は一人ずつ入場し、舞台上に設置されたひな壇の席に着席した。
式はまず、国家斉唱から始まり、アストリア学校総長、校長先生、卒業生総代、成績優秀者の順にスピーチが行われた(多分、こんな順番だったと思う💦)。
その後にコーラス部の合唱があり、24名全員に卒業証書が授与された。

一人ひとりフルネームで呼ばれるので、自分の名前が呼ばれてから、ひな壇を降り、アストリア学校総長と握手して卒業証書を受け取る。
私を含めた22名に授与されたのは、"Deploma"(卒業証書)。
XeniaとHelgaに授与されたのは、"Certificate"(卒業認定書)。
Deplomaを授与されるには必須科目を履修し、単位を取得しなければならない。
勉強はかなりキツかったが、今となってはそれも良い思い出。

全員の卒業証書の授与が終わると、校長先生から「皆さん、卒業おめでとう!」というお祝いの言葉とともに、卒業式は終了。
ひな壇に座っていた卒業生たちは、在校生のエスコートを受けて退場した。

ホストファミリーのハンブリン一家も私の卒業式に参列してくれて、一緒に祝ってくれた。
卒業式が終わった後、学校の駐車場でホストシスターのAshleyが『ガウン、着てみたい!』と言ってくれたので、私のガウンとキャップを彼女に着せて一緒に写真を撮った。
ぶかぶかのガウンを羽織ったAshleyが可愛すぎて、その写真を見ると、今でも笑顔になる自分がいる💛

ハンブリン一家は、家で卒業式のお祝いパーティーをしてくれた!
美味しいご飯をいっぱい作ってくれて、ケーキまで準備してくれて、本当に嬉しかった🥰 
最高の卒業プレゼントだった!

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今日はこの辺で。

卒業式の流れは日本のそれとあまり変わりないのかなと思う。
ただ、開始時間が夜であることや、ガウンやキャップといった式服を着用したりすることは、大きな違いではないかと思う。
参列者は主に家族や親せきが多く、服装もラフな格好をした人が多かった。
スーツ姿の父兄はいなかったと記憶している。
Tシャツにジーンズで卒業式に参列というのも、何だかアメリカらしくて良いなって思った😃

余談だけど、アストリア高校の卒業式では、よく海外ドラマであるような卒業式終了とともに卒業生が空に向かってキャップを一斉に投げる「キャップ・トス(”cap toss")」のアクションはなかった。
実は、私はこのキャップ・トスが体験できると一人でワクワクしていたのだが、アストリアにはこの風習がなかった...残念!!



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