摂食障害、あれはなんだったのか(3/5)

自ら古傷を抉っているのだから自業自得なのだけど、前回の記事で発症までの経緯を振り返ったがために、この2日、めちゃくちゃに体調を崩していた。なんだ、まだ現役バリバリメンヘラではないか。流れ弾に当たるようにして身近な人に少し迷惑をかけてしまった。申し訳ない。けど頼れる人がいるってありがたい。私も頼られる人になりたい。

今日がコロナのワクチン接種の日だったので、なんとか這い出して外界に出てきたが、おもえば丸一日以上何も食べずに床に伏せっていた。こういう風にヤバい日は、思考を止めてしまうしかないのだ。思考を止めるには、眠ることである。
ワクチン接種のおかげでせっかくベッドから脱出できたので、カフェに寄り、ボンヤリする頭で甘いものを食べる。そして、コンディションを持ち直す意味で、続きを書く。書くこともまた、昔からの回復の手段。人目に触れるかもと思って書くのは、初めてだけど。睡眠によりぐちゃぐちゃの感情をぐちゃぐちゃのまま出し、その後に論理的思考を使うと言うのがバランスが良いらしい。立ち直れ、自分。これ以上大切なものを失うな。

さて、発症後のわたしと底つき体験について。



【摂食障害、その基本の症状※あくまで私固有】

繰り返し注意喚起をしているが、心の病気の出方は本当に人それぞれだ。経験者であれば、私の場合と違う、私の身内の場合と違う、そうお感じになることだろう。経験者でない方には、このことをよく念頭に置いていただきたい。

さて、私の場合は、多分その根は家庭での幼少期にあるのだろうけど、とにかく「秘密主義」「排他的」というに尽きる。

まず家庭での食事や学校給食などは「食べているところを見られたくない」。実際どうしていたのか、記憶が抜けているが、まあ毎食ほとんど残していたんだろうな。家でも学校でも、食事はどうしたって人目のあるところでやることだし、給食を便所メシするような目立ったことのできる子でもなかったので。(そんなことできる大胆さがあれば、そもそもこんな病気発症しなかっただろうな。)

もう一つの鬼門が、風呂。風呂に入るのに脱衣所の利用は不可避であるが、絶対に家族にはだかを見せたくない。恐らく心配してのことだろうか、それともこちらの自意識過剰か、当時よく脱衣所にいると母が入ってきた。たぶんあまりにご飯を食べないのでチェックに来ていたんだろうと思う。まあわたしはガリガリである。私は母をめちゃくちゃ睨んでバッターンと風呂場に逃げ込んだ。「もっと食べなさい」「痩せすぎでは」とら言われるに決まっているから。そういうことを言ってくる輩は全員、敵である。(今はそんなこと微塵も思わないよ!)

程なくして母親はわたしのダイエットを邪魔する敵になった。今思えば、家庭を壊したのはこいつだという恨みを重ねていたのですね。
それから、恐らく崩壊していく家庭において「わたしをみていてくれ、見捨てないでくれ」と家族の関心を引くという、本人でも自覚しない動機があったんだろう。ダイエットを邪魔すると言う表面的なことについて拒絶はするけど、その本心では、しんぱーい、と遠巻きに見守るんじゃなくて、無理矢理な方法でも助けてほしかったんだろう。家族を繋ぎ止めたかったのだろう。

偉大な臨床心理学者であり児童心理にもお詳しい、故・河合隼雄先生の本を読むようになって、こういうのは、児童の臨床心理ではよくあることのようだとわかってきた。家庭が問題を抱えているとき、家族が力を合わせざるを得ない問題を子供が起こす。病気であったり非行であったり。かなしいことに、そういう子供の努力はおおかたが報われないのだが。その問題で、傷つくのは子供だけ。家庭を持たない(持ったけどダメにしてしまった)わたしが言うのもおこがましいけど、返す返す、家族は円満に、対話を沢山してください。両親だって人間、難しいこともおきるでしょう。でもそういう時は、少々酷なことがあっても子供を蚊帳の外に置かないこと。あなたは大丈夫だよ、ということを言葉で説明をすること。知らないことが恐怖を生むのは、大人だって経験あるでしょ?



【部屋の中に大量のダイエット食品各種】

さてまた少し話を戻して。
摂食障害は過食と拒食に分かれるが、わたしは一応拒食の方だったと思っている。
もう一般にだいぶ知られてきたことだが、過食の人が必ずしも太っているわけではない。吐いたり、下剤を乱用することで食べたものを消化させないからだ。
私はというと、当時、食への関心は、ないわけではなかった。でも吐くことにどうしても抵抗感があってできなかった。だからまぁ、拒食かな。けど命拾いしたのは吐けなかったおかげかもしれないな、と、今般改めて摂食障害について考え直す中で思い至った。
ということで、私の関心が向いたのは、当時もしかして今よりも需要が大きかったか?いわゆる0カロリー(と謳われている)食品の数々。部屋にひとつ段ボール箱があって、その中にありとあらゆる0カロリー、もしくは超低カロリーを謳った食品が詰め込まれていた。絶対美味しいわけがないこんにゃく麺のたらこスパゲッティとか。
それを、いつ食べたんだっけ?食べるシーンが思い出せないけど、まあとにかくそれを見られないよう見られないよう、男子学生がエロ本をベッド下に隠すが如く、隠し持っていたのだった。めちゃくちゃ溜め込んであった。
あと下剤はすごい使った。ほんと、使いました。よく生きてたよ本当に。

まとめると、やはり結局のところ家族との距離感の問題だったろう。母親を悪者にせなんだら保てぬ正気。あと特徴的なのは極めて秘密主義なところである。かなり最近まで「こんなところは人様にはお見せできん」みたいな何かって常にわたしにはあって(あるんですよ、近しい皆様は意外に思われるのだろうか、それともわかっとるわずっと前から、と思うのだろうか、どっちだろう。)沢山の優しい人々との出会いのおかげでそれも日進月歩改善中、なうである。



【依存対象がなぜダイエットだったのか】

さて、大変にダイエットに執着してきたわたしであるが、何故にダイエットだったのかは、正直よくわからない。
第二次性徴真っ只中で日々身体の変化は感じていただろうけれど、そのこと自体に特に嫌悪感を抱いていたわけではなかった。体型を揶揄されたこともない。
まあでも当時は渡辺直美やゆりやんがカッコいい生き様を見せてくれている現代とも違ったし、前回に続き好きじゃないけど言葉を借りて「陽キャ」にたしかにぽっちゃりさんがいなかったり、したかな。

ただ本当に摂食障害というのは依存症なので、その時じぶんが依存しうるものならきっとなんでもよかったのだ。この手の依存症と人への依存はわたしの中では全く違うものである。人はいつでも本人の意思でわたしの前からいなくなりうる。この傷は前回の記事の通り、多分まだ相当長いこと付き合っていかなければならないわたしの心の傷である。依存症の対象はそんな不安定でものであってはならない。食べなければ減ってくれる体重、カネさえ出せば手に入る酒や薬、そういう絶対に裏切らないものじゃないといけないのだ。何故なら、家族ですらいつ何時私のことを見捨てていなくなってしまうかもわからない、その恐怖と不安が耐え難くて病気になったのだから。心を持たないものにしか、絶対に離れていかない保証はない。人の心は変わるから。

子供にとってこの中だと、消去法でダイエットになりますよね。ダイエットは基本、お金いらないし。


【底尽き体験】

体重の経過だとか、どのくらいの期間があったかとか、そういうことはもうすっかり忘れてしまった。ぽっかり抜け落ちている。やはりしんどかったらしい。

なので、初回に既に触れた話題だけど、底つき体験について。

まず「底つき体験」とは何か。これも摂食障害のみならず、さまざまな依存症の経過で登場するものである。一般的には、ここで初めて医療や福祉につながり、回復が始まることが多い。

私の場合は、下手をしたらあそこで死んでいたかもしれない、目が覚めたら体が動かなかったあの日のこと。どうだったかな〜、うろ覚えだけど35キロ台くらいまで落ちていたんじゃなかろうか。

他の依存症だと、たとえば酒や薬やギャンブルの場合はお金がなくなって、借りるにもこれ以上借りられない返せない、とかで行き詰まって、自分の力だけではどうしようもなくなる状況のことを「底つき体験」という。ああもう無理だ、これ以上は。と悟るのだ。ここで、自らヘルプを出せたり、引き摺り出してくれる人が周りにいたりすると、最初は妨害と感じて反発するだろうけれど、助かる、のだ。私の場合は体が動かないもんだから、家族を呼ぶ以外にない。まぁ、私の場合はそこで心療内科につながったのでは無く地元の内科だったので、摂食障害自体はその後数年、環境変化による自然治癒に任されることとなる。しかしながら、既に身体の異常も他に出始めていたし、ここまでか、という諦めの気持ちになったのは、事実である。


はい、また、どえりゃー量の文でした。
書いているうちに、かなり正気に戻りました。ふう。
次回は進学によるありがたい治癒の話だね。
私もカタルシス追体験の予感です。

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