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冬、わたしがねこになった。

もう投稿した文章に付け足したい画像(ヘッダー?)の設定が、わからないというもんだい…というより毎回写真をつけるよりは、表紙になる絵のページを決めたいよね、でもどうやって?という方向で……ネット上にあるくせに、どうしてもイメージは紙の本のように寄ってしまう。

それから改行すると段落がかわるのはどうしてなのでしょう……とはやくも途方に暮れるのは、文章の体裁をふくめてじぶんのイメージを伝える手段のひとつだと捉えて書いてきた時間があんまりに長いからです。よくあることは漢字をえらぶのかひらがなにするのか、章立てはあまり考えないけれど、ここにいる今この者は、わたしなのか私なのか、あるいはいっそ僕なのか?そんなところまでも。

……という書きかけの謎を放っておいているうちに季節は進んでいた。お雑煮を食べつづける1月、いわく都心は大雪(いやせめて大雪と呼ぶのは雪が長靴より深くなったらにしませんか)、「えっ北京オリンピックって今年だったの?」と夫たる人に驚かれながらフィギュアスケートのあれこれに気を揉んだりする冬。東京2020なんて言われつづけていた2021年はどこに消えたんだろう、いやたぶん緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置が一年のうち八割方を占めていて、だから空白のようにしか感じられないのだけれど。

その空白のなかで、こつこつと続けていたこというとねこの相手くらいしかなく、これは衣食住の面倒をみるというよりはもう「ねこのほいくえん」だと思ったのは、オヤツやおひるねや遊ぶときの見守りに、さんぽの付き添いや争いごとの仲裁や寝る前の寝かしつけ作業?までをねこがわたしに求めだしたらしい、と気がついたときだった。

同じお部屋にいてほしいねこ、これはいい。Twitterでなかよくしてくれているひとが、別のおうちのねこ事情を教えてくれたし、ねこはねこなので、つまらなければどこまでも遊びに来るだろうから。

洗濯物を干すときに、いっしょに出てきてわたしが見える範囲で探検をしようとするねこ……これもまあいいと思う(ひらひら終わったから戻るよー窓閉めるよーと言うと慌てて走ってきて家のなかに飛びこむので、脱走とはちがうんです。たとえほかのニンゲンが悲鳴をあげるとしても)

じゃあ、トイレに入っていると慌てて「どこーどこー?出てきてー?」と鳴き歩くねことか(ねこのお母さんが子猫を探すときの呼び声にそっくりです)、夜中にとつぜん、「ぼくたち追いかけっこするのおねいさんもしようよ!いっしょにあそぼうよ!」と隣にきてぷんぷん言いはっているねこ、とか、23時をすぎると膝に乗せなさいと言い夜の寝かしつけという新しい仕事をしているうちに、いつのまにか以前のようにねこベッドに移動しなくなり、抱っこがだめなのに持ちあげてベッドに移すしかなくなってしまった上に、「どうしていつもあっちのお部屋にいっちゃうの、ぼくきもちよく寝てるんだからおねいさんもここでいっしょに寝たらいいのになんで?」と今夜も不満げにされてしまった(いや、むり、きみを膝にのせてるだけで定員いっぱいよ、横になれないと眠れないでしょ?といっても聞く気はない証拠のごふまん顔)

わたし、今、ほとんどねこなんじゃないか知ら。


書き出し:2021.1.5→終わり:2022.3.10

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