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なにものか知らねど。ー自己紹介のかわりに

noteがなにか、よく知らない。

なんだかTwitterにリンクを貼ってものかきをしている人がふえたな、だいたいnoteっていうところに飛ぶな…とぼんやり思っていたわたしが、いつ、なぜIDをつくったのか、それも実のところもう定かでない。

おもしろそうだなと思って読んでいたのがたまたま無料公開のひとのものばかりだったので、そのうち文章を買うものらしいと知ったときは、とてもびっくりした。なんというか「誰かよく知らない人の日記を、買うの?」みたいに。

それくらい、わかっていなかった。いやたぶん今でもわかっていない。インターネットの変化はすごいな、携帯にくっついたカメラの性能がどんどんよくなって、いろんな加工?もその場でささっとできるようになって、気づいたらだいたいの人がそこそこのカメラマンになっていた。小さなフィルムカメラで癖をおぼえて一発勝負、プリントしてもらうまでどう写っているかわからないのが高校生のわたしがはじめた写真だったのに、あれ?いつのまに?と思ったのはいつだったか……一方で文章のほうも、あちこちにあった日記サイトがブログにかわって、次にはこういうところでちょっと売ったり買ったりするものになっていたらしい。ほんとうにすごい変化。

たいていわたしは本のページやカメラのレンズや絵なんかに頭をつっこんでそこに見えるものに夢中になっていて、ふっと目をあげると、いつの間にかせかいはずうっと進んでいる。そんなふうに生きていた気がするけれど、さすがにこの速さには驚きました。

さて、

文章を読むことはものごころつく前から呼吸するようにじぶんのなかに、あった。書くことはそれよりむつかしかった。でも、口にだして喋るよりもずっと、近しくてかんたんなことだったので、頭のなかみをどうやら文章にくみたてられるようになると、家のそのへんに転がっていたノートを使って、頼まれない日記のようなものをせっせと書くようになっていた(付け加えると、頼まれてもあまり書けなかった)。わたしのなかはとてもおしゃべりだったけれど、あいにくみんなのように発声器官を使って主張することをしなかったので、ずっとおとなしいという評価をされていたし、じぶんでもそうだと思っていた。

……それはたんに、話すことに向いていないだけだった、と自覚するのにどうやら20年くらいかかったらしい。自分のことはほんとうによくわからない。ネットで、Twitterで出会った人は、わたしをおとなしいと思うことなんてあるんだろうか?というのが、最近もっている疑問です。

ともあれ、色々な事情で「書くこと」から何年か遠ざかっていたのだけれど、また少しばかりうろうろと、よしなしごとを書き綴ってみようかな、と思いたったので、このいつかIDを作ってあったnoteをこのたび開いて、なにやら打ち込みはじめてみた。喋るかわりに書いていた紙のノートほど切実ではなく、自分だけのものでもない新しいノート。ネットに浮かんでいるからには、ずっと開きっぱなしなんだろうか?と疑問に思ったりするけれど、書きたいことをもし思いついたらこの場所にやってこようと思う。

そんなことを考えた、それは誕生日のことでした。


書き出し:2021.11.7→終わり:2022.1.5

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