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自分に同情するのは下劣な人間のする事だ

高校生の自分に、ヘビー級のボディーブローのように響いたこの言葉。
ノルウェイの森に出てくる永沢さんの名言です。

ノルウェイの森を読んでいた頃は、ティッシュ包んでそのまま捨ててしまえるような生活をしていました。 村上春樹を読み漁っていたのもこの頃です。
海辺のカフカを読んで、1Q84を読んで、スプートニクの恋人を読んで、その後にノルウェイの森を読みました。

そこで出会ったこの言葉。自分に言われているような気がして、たまらなく恥ずかしくなってしまったのを覚えています。
事あるごとに、「まあ、俺やから仕方ないか」「俺って可哀想」と自分で自分を慰めていたからです。
情けないくらい生産性のない考えです。それを分かっていながらも、自分くらいは自分を慰めてやろうと自分に同情する日々でした。

おそらくですが、村上春樹を好きな男はどこか弱い男だと思います。弱い男は、村上春樹の小説に出てくるような淡々と生きる主人公に自分を重ね、個性的で強い女性に憧れを抱いているのです。そして、おそらくタバコを吸っています。何かに依存する事で、落ち着きを感じるタイプだと思います。(偏見ですので悪しからず)

この言葉に衝撃を受けた私は、自分に同情するのを辞めようと決意しました。そんな事をしていても仕方がないと、恥ずかしむべき事だと。
意識をするようになれど、特段生活が変わった訳ではないですが、少しは諦めの悪い男になれたような気がします。

しかし、社会人になってからは考えが変わりました。

「下劣でもいいから、自分くらい自分を慰めてもいいじゃないか」

社会人は諦めの連続でした。何かを諦めてはタバコを吸い。諦めてはタバコを吸い。諦めた数だけタバコを吸いました。一種のリストカットのようなものかも知れませんね。
諦める事に慣れてくると、何事もどうでも良くなるのです。どうでも良くなった数だけ、15分8000円の快楽を求めました。

そこでやっと気付いたのです。
「自分に同情するのは、悪い事ではない」と。
少なくとも、どうでも良くなるよりはマシだと。

たまに出なくなるお湯に文句を言わず
冷水を浴びる自分を、
あと2分で発車する電車に駆け込んで
間に合わなかった自分を、
コンビニに自転車で行って
歩いて帰ってしまう自分を、
月に1回はイヤホンを無くしてしまう自分を、
可愛がってやれるのは、自分だけなのですから。

途中から、何が書きたいか分からなくなってました。
酔いに任せて書きました。
誰が読むねんこんなもん。

iPhoneという名のペットボトルに入れて
ネットの海に流します
誰かが拾ってくれるでしょう。
それでは。

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