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キムタクファンはキムタクをキムタクと呼ばないし、イノッチファンはイノッチをイノッチと呼ばない。

noteで大人気のクリエーターである潮井エムコさんが、こんなことをtweetしていた。

確かに、心当たりがある。私は20年来のイノッチこと井ノ原快彦ファンだが、井ノ原さんのことをイノッチとは呼ばない。一方、木村拓哉さんのことは気軽にキムタクと呼んでしまう。この差は何かと考えてみた。

思うに、キムタクもイノッチもその人を表す呼称ではなく、その人から形成されたキャラクターの名称ではないだろうか。

イノッチというキャラクターは「ニコニコしていて人当たりが良く、仏のような人」のように思う。このパブリックイメージがどうにもこうにも、しっくり来ない。確かにそんな側面もあるだろうけれど、それは井ノ原さんをある一面から見たイメージにしか過ぎないよね、と思ってしまう。

私から見た井ノ原快彦は、モノづくりが好きでこだわりが強く、行動力があり、ヤンチャですぐふざけ、お酒を飲むとすぐに酔っぱらってウザ絡みをし、そして自分の周囲の人間や生物を愛する、熱い人間だ。清楚なパブリックイメージとは違った、そんなところが大好きなのだ。

こういった「私の思う井ノ原快彦像」と、イノッチという愛称に紐付いたパブリックイメージが乖離しているのが、井ノ原さんをイノッチと呼ばない最大の理由だ。

そういうふうに考えると、木村拓哉さんについて「『Maybe.』という何ともキザな口癖を真顔で言っても決まる唯一の男」という15年以上前のドラマのイメージ(そしてそれはきっとパブリックイメージとあまり変わらないだろう)以外何も知らない私が、気軽にキムタクと呼んでしまうのも納得がいく。

とは言え、圧倒的知名度があるのはイノッチというキャラクターだ。他人に伝えるときに「井ノ原さん」と言うと120%聞き返される。「好きな芸能人は誰ですか?」と聞かれると「V6の…イノッチです。」と答えてしまう。「…」の間に(井ノ原さんって言ったら伝わるかな、厳しいだろうな)という心の葛藤が隠れている。

全国のキムタクファン・イノッチファンの方々と、この感覚は共有できるだろうか。

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