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リトリート帰りの新幹線の中で、雑感。

終わる感覚のない時間。時間を感じない帰り途。


芦川でのリトリートを終え、帰路の新幹線の中である。

昨日、今日と扱ってきたテーマ、ワーク、辿り着いた存在意義と、その表現。

振り返りながら深掘りしていきたいな、という意欲が湧いているものの、電車の中で書き切る気がしないのと、エネルギーが足りない確信がある。

2000字コースじゃないだろうからな…。


往路は2時間の遅刻だった。

山梨へと向かう観光客がたくさんいたのか、2時間のバスの道中の予定が、4時間になった。

三連休末の今日の復路も、同様に渋滞するんだろうな…と思っていたら案の定である。

それでも1時間遅れくらいで済んだ。台風にもまだ追い付かれておらず、セーフ!!という感じである。


宿を出たのが14時で、家に着くのが今から1時間後の20時半頃になりそう…ということで、6時間半の道中である。数字で見ると、長い。


もう後半の最後のところまでたどり着いた今だけれど、5時間半経ったのか…という数字ほどの時間感覚はなかった。

バスで多少眠れたし、りみさんと振り返りの話をしていたら割とあっという間だったからだ。


ソシャゲ類や漫画たちもありがたい。物語や作業に没頭していれば、時間が経つのはあっという間である。

逆に言えば、日々の時間をどれだけそれら逃避の娯楽に吸い込まれているんだろう…ということへの気付きでもあるのだが。


今回のリトリートは、初日に感じた「イマココ」の感覚が、ずっと続いている三日間だった。

いつもは過去や未来に意識が飛んでしまうのだけれど、なんだか「今、身体はここに在る」という質感を帯びている。

身体感覚のシフトを体感している。


振り返ってみようとすると、膨大に濃い情報量が詰まっている感覚が、僕の探求を阻む。


もともと「休む」に身体を慣らしてきた期間だったから、頭をこれ以上使わせないぞ、という身体の声が聞こえてくるようだ。


明日以降、十分に休みをとりながら、振り返りつつ、書き記していきたいと思う。


僕が新たに出会った存在意義。

それは、「人の命に苗を植える」である。



以上、新幹線から予告。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

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