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「続ける」ことに躓いた背景から覗き込んだ、シャドウの表情

手放してもなお、再び戻ってくるものがある。



習慣の力の偉大さにひれ伏す


noteの連続更新が途絶えてしまって以来、「毎日やるぞ」と僕の背中を押す原動力も一緒になって消えてしまったように思う。


僕にとって書くこと自体が楽しいことではあるし、自分の未来に繋がっている目的意識も定めていることではある。


それでも、「続けていたからこそ続く」エネルギーが確実にある。


習慣の力は偉大で、更にそれを後押しする数字の力も偉大だった。

「連続でやり続けること」が途絶えてしまうたび、そんな力の大きさをまざまざと見せつけられる想いだ。



全てを押しのけてでも生活の中心に鎮座したもの


11/18(金)にポケモン最新作が発売して以来、僕の暮らしの中での時間の使い道のたいはんがポケモンに費やされてきた2週間だった。



というのも、12/2に解禁となるランクバトル(レーティング機能により、参加プレイヤーの順位がつくお祭りのようなものだ)にシーズン1から参加してみたい、という想いを叶えるための準備をしてきたからだった。


ポケモンに触れてきたのはそれこそ幼稚園に通っていた頃の緑版からだし、発売するたびに僕の暮らしを直撃してきたコンテンツだ。


最上志向、収集心、学習欲。


僕のストレングスファインダーの上位資質がこれでもかというほど揺さぶられるコンテンツである。


厄介なことに、時間もお金も無限に吸い取られるんだなこの資質が揃ってると



一つ掲げていた目標とその達成

ランクバトルには階層があり、再上位ランクに至るまでは階層を上下する。

再上位ランクに至れば、どれだけ負けようとそのランクに留まれる。


「勝ちを重ね続けなければ…!」


というプレッシャーの中で階層をのぼっていくハラハラ感も夢中になれる要素ではあるのだけれど、それでも気楽に色々と楽しみたい(本気の人たちが遊んでいる階層で)という気持ちは強いもので。


順位は桁が大きすぎて(僕は9,000番台からスタートしたし、平気で5桁に落ちる)、「2桁以内を目指す…!」ということでもない限り、もはや僕にとっては気にする指標ではなくなった。


「ここに至った人たちと」遊べる、という空間、そこに至ろうということでこの3日間過ごしてきたのだった。


環境初期の初期(平日9時)からランクバトルをやってる人なんて、大体が強い人(ポケモン廃人な皆さま)ばかりだろうから、この環境で上がっていくのは結構厳しいということだった。



最上位ランカーが20戦やそこらで(9割くらいの勝率で)到達している階層に至るのに、僕は75戦を費やした。これが実力差なんだなー、というのが数字と体感でわかるのも面白いなと思う。



順位がつく、という世界線


幼い頃から塾に通わせてもらっていたおかげで、小学生の頃から成績が良かった。


テストのたびに(張り出されたりはしないものの)校内順位が各人にフィードバックされる中学校生活だったことを思いだす。


幼稚園から通い続けた公文式のおかげで身についていた学習習慣だったり、小学校時代に中学の範囲の英語が終わっていたり、そういった下駄を履かせてもらっていたおかげで、僕は「成績優秀者」のポジションを得た。


ある意味、それが僕の「居場所」となったのだろう。



「優秀さ」。能力と、アイデンティティの混交


最近のセッションテーマだったり、妻から日々の生活でもらうフィードバックを省みると、僕は「自己能力」と「自分自身の存在」が絡みついて自己認識をしているきらいがある。


「能力の高さ、優秀さが自分の存在価値の指標である」と表現するとわかりやすいだろうか。


評価数字は高いほどいいし、世間の評判はいいほどいい。


そういえばポケモン対戦のために、「優秀な」数字をもったポケモンを得るために、何百時間と費やしてタマゴを孵したり能力値の底上げをしたりしていたっけ。


「最上志向」で、よりよいものを求め、

「収集心」で、好奇心を向けたものを集め続け、

「学習欲」で、拡がった世界を貪って生きる。


僕を形成する資質は、僕に対する自己認識を強化し続けた。


「そういうポジションで生きてきたから」という習慣が、僕を学習に駆り立て続けた。成績が落ちれば悔しい想いをしたし、トップに返り咲けば心が穏やかになった。


テストでいい点をとれば親から賞金をもらえた。そしてそのお金はカードゲームへと変換されていった。


学び、集め、よりよいものを求め、勝負し、勝ちを納め、自己能力の証明をして生きる暮らしだった。


そんな風に生きてきた。



「できない」を認めることが、あたかも死ぬかのような苦しみを突き付けてくる


2022年は、特に盛大にこの「できないを認める」、が人生を揺るがしてきた大きなテーマだったように思う。


できないことなど、いくらでもあるのにも関わらず、だ。


「いつまで中学生のような万能感をもって生きてるんですか?傲慢ですよ」


主治医にそうからかわれても、いまいち受け取ることができなかったけれど、「”可能”性」に目を向け続けた僕は、「”不可能”性」から目をそらしてきただけだったのかもしれない。


誰かを頼ることができないとか、弱音を吐けないとか、自分は人の相談に乗るくせに人には相談しないとか、そんなことにがんじがらめになって僕は窒息死しかけていた。


「このままでは死んでしまう…」


ということを、頭でわかっているつもりでも、行動に至らない。

身体が悲鳴を上げ続けても、鈍麻した耳にはその声は届かない。


強制的に身心がストップして倒れ込むまで、僕は僕の意志で行動をあらためることができなかった。


それが今年の8月だ。



目を背けたくなるようなほど不器用な、「できない」の受容


休職に入ってもなお僕は、僕の「できる」をかき集めて生きていた。


「セッションならできる」

「noteならかける」

「送り迎えならできる」

「ごはんならつくれる」


友人たちから「休んでないじゃん!」と叱られた。

でも、何もしないでいる、ということが本当に難しかったのだ。




存在承認を、一番必要としていたのは


妻と出会って以来、「能力」と「自己否定」の葛藤はホットトピックスで在り続けた。

それは、主に妻の人生の課題として


何かと比べ、誰かと比べ、しんどそうに縮こまる妻に対して、僕は妻の存在自体に承認を届ける、という態度を心掛けてきた。


何をしてきた人か、ではなく、目の前にいるというだけでこの人に惹かれた初デートの日の感覚は、今でも褪せることなく残っている。


成果とか、能力とか、行動とか、そういうもので評価・判断をしない。その態度を貫いてきたと自負している(たまにミスってたとは思うけど)。


僕はこの過程に、「人を愛する」ということの意味を見出してきたように思う。



それでも、今日に至り、「僕の承認を一番必要としていたのは、僕自身なんだろうな」と感じている。



TPI研修で放たれた言葉に、涙が止まらなかった


一社目に在籍していた頃、マネジメント層一歩手前の立場にいた僕は、全国各地の同ポジションの5名とともに、合宿形式の研修に参加していた。

ただひたすら、「自分に向き合え」を突き付けられる時間だった。


その最終日に、僕の発表を聴いていた先生が放った言葉に、僕は泣き崩れたのだった。


「周囲の誰々が厳しい、とか、環境のしんどさ、とか、色々と語ってきてくれたけれど、あなたに一番厳しいのは、あなた自身なんじゃないの?」



僕はずっと、僕自身を許してあげてこなかった。



下半身が擦り切れてなくなってしまった姿のシャドウ

コーチングを学んで以来、僕が初めてまざまざと存在を認識したシャドウ「のっぽさん」。


ハウルの動く城のカブのような見た目をしたひょうきんな彼は、僕の心象風景に立ち表れた時、車を運転する僕のはるか背後で、車に括りつけられたヒモにつながれてひきまわされ、腰から下が欠損していた


見るも無残な出会いだった。


彼の中に入り込んで感じ取った感覚は、ただただ、「疲れ果てている」というものだった。痛みも、悲しみも、苦しみもなく、ただただ「寝てくれ」と口にしていた。一年前の9月のことだ。


その日から毎日5時間の昼寝をした。見事に心身が軽くなった。



今、彼は?


そういえば久しく「のっぽさん」の姿に触れていない。今の僕の中で、彼はどんな存在になっているのだろう?


9月、10月、11月と、まるまる3ヶ月を休みに充ててきた今、幾分か僕の身心は元気になってきたように思う。



「とにかく頭を使うな!寝とけ!」


と、カウンセラーにも心療内科医師にも産業医にも異口同音で言われた助言に、四苦八苦しながらも実践しようと試みてきたおかげなのだろうと思う。


まだ後遺症というか、新たな自分の処世術というか、夜になってくると人の相談事を聴けなくなる。

「ごめん、今日はもう頭を使いたくない。使えない。」


身近な相談相手になってあげられなくて妻には申し訳ないと思いつつも、「頭を使う」ことに対して過度に抵抗感があるので、仕方ないなと受け容れている。


そんな僕がポケモン対戦のデータをエクセルに打ち込んで集計して分析している姿を見たもんだから、妻は呆れ顔だった。


「そこまでやるなら、それでお金を稼いで来なさいよ!」


ごもっとも。


これを書きながら、僕の中ののっぽさんがニヤニヤしている気がしている。

なんだか今の姿は「殺せんせー」(※)に見える。


※ 漫画『暗殺教室』より。僕は同作者の前作『魔人探偵 脳噛ネウロ』が大好きで、普段漫画を読み返さない僕が同作だけは何度も何度も読み返しているほどである。

漫画好きのおかげで心象風景の描写の引き出しが多い



「そんな日があってもいーじゃんね」と自分を許し始めた質感


noteの毎日更新が途絶えて、一日開け、二日開け、「あぁ、このまま書かないのはよくないな…」なんて気持ちも湧いてきたのだけれど、僕は優先した。ポケモンを。


というより、「無理やり書く、をひねり出す」というエネルギーが湧いてこなかった、というのが正直なところだ。


テーマ自体はある。

でも、書くためのエネルギーを持ち合わせていなかった。

そういったものは、ラジオに譲ることにした。



「連続更新」を、不慮の事故で(という言い訳をしながら、お酒を飲んでたら日付が変わっていたにすぎない、という事実を述べておく)絶たれてしまってから、忸怩たる想いもあったのだけれど、今はちょっと気楽だ。


間が空いても、読んでくれる人は読んでくれるし、書きたいことがなくなったわけでもない。


悲嘆する必要はないのだ。



だって、そんなことで僕の存在は揺らがない。



去る者は追わないし、来るものは拒ま…いや、ちょっとは拒むけど、基本的にはウェルカムだ。あれ?結構拒むかな?まぁいいや。



僕は僕の存在自体を喜んでくれる人たちとだけ関わっていられればいいし、それで十分だなとも思う。


仕事をやれなくなった今は、僕に何かが「できる」ことを求めてくる繋がりは薄れた。そういったものは、自然に溶けて消えてゆくのだろうなと思う。




何かが変わってきた。

そして、これからも変わってゆく。



そんな転換を、肌で感じ始めた。



ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。

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「あなたの物語に共に出会う嬉しいその瞬間」を、今から僕も心待ちにしております。

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