変化と恐れ、全力と余力。そして、願いの源にあったのは
「認められたかったのかもしれない。」
妻と共に受ける、宮本コーチによるチームコーチングの第3回目を迎えた。
夫婦の中長期の目線、目下始まる新生活への不安と対応、そういったテーマを真ん中においてセッションを重ねてきた。
妻と昨日カフェで話していたとき、僕らの「目線」がズレていることを、再認した。
きっかけは妻に「実は泣きたがっているサインなのかもしれないね」といった話をしたところから、「本当は泣きたいと思っているけれど、まだ泣けていないこと」を語ってもらったことだった。
注ぎたさと、ままならなさ
妻も僕も30代の齢を重ねてきて、子どもは来月に3歳になる。
年度替わりに僕はフルタイムの仕事に就き、「主夫」という役割の中で担えていた事柄に、今までのようには携われなくなる。
変化に直面する真っ只中。
仕事や、自己成長や、臨む未来へ近づくための時間の投資を、思いっきりやりたいという気持ちが沸き起こっても、独身ひとり暮らしの頃に出来得たようには果たせないままならなさに、葛藤する。
それは、時間の制約にとどまらず、住まう場所や、関わる人たちとの距離といった空間的な制約も含めてだ。
ライフステージの変化に伴う、あれやこれやの「新しいこと」への適応課題。
思えば、妻と結婚して以来、ずっと我が家の中心テーマは、「私たちがよりよく生きるには」という問で在り続けてきたのだと思う。
できた記憶と、できうる執着心
ふと、成人してから参加した運動会の短距離走を思い出す。
僕の記憶は、経験は、脳みそは、知っている。
全盛期の身体の躍動を。
足裏が捉える地面の感触を。
反射的に交互に持ち上がり続ける両の足の回転を。
だが、身体はそのようには動かない。
全身の連動は失われ、足は持ち上がらず、自身と乖離したかのような戸惑いに出会う。
そして翌日、立ち上がれぬほどの筋肉痛に襲われるのだ。
しばらく日常生活を、送れないほどに。
全力と余力
自分が有しているリソース、キャパシティを、過度に多く見積もってしまいがちなのかもしれない。
そして、それを「使いうる余地はあるはずなのに、使いこなせていない」というような思いに、忸怩する。
ここには、何かしらの信念がありそうだ。
もちろん、出来うる努力はまだまだあるし、工夫し昇華していけるものもあるだろう。その努力は続けたいなと思っている。
他方で、「全力への憧憬」は、どうなれば満たされるのだろうな?という問も立つ。
どうにも、「やるだけやった」、では満たされなさそうなものがありそうな。
家族ある暮らし、とりわけ、幼い子どものいる暮らしにおいて、「余力」はとても重要だ。
急な発熱によるイレギュラーも生じやすいし、自分でご飯や排泄を完結しきるわけでもない。危険を察知できるように目配せはしていたい。
でも、疲れ果てて仕舞えば、それはとても困難になる。
僕が主夫暮らし、(というより、休職体験かな)の中で学んだのは、そんな「有事に対応できる」ような、「はみ出た負担を巻き取れる」ような、そのために「自分が休む」ことのプライオリティを高めつつ、その余力は確保しつつ日々の役割を果たす作法だったように思う。
僕の目線は
-1 to 0。
対して妻の目線は、0 to 1。あるいは、1 to 100。
僕の関心事は、4月からの暮らしの大きな変化に、いかに適合するか、ソフトランディングするか、暮らしを回すことができるか、維持可能な方法を見つけられるか、である。
それは、僕の1年半に及ぶ休職期間が終わりを告げようとしていることと、大きく関係しているはずだ。
僕が社会復帰を果たすのは、「これから」なのだ。
就職先があること、働き始めることは、その入り口に過ぎない。1年半ぶりのフルタイムの勤務、5年ぶりの通勤形態、人生で初めての顧客層。
ブランクと初めてが目白押しの挑戦が始まる中で、なるべく「変数」を減らしたい。不確かな部分、対応が必要な部分、要するに、僕が僕のリソースを割いてキャパシティを圧迫する部分を増やしたくない防衛反応なのだろう。
「ビジョンがあるから、頑張れる」
そういう側面があることを、僕は知っている。
それは、「願いを指針に生きる」ことを選択したが故にたどり着いた、「我が子のいる暮らし」という未来を生きている今、ちゃんと実感として知っている。
だけれど、それを描くこと、認知してしまうことで「テンションがかかってしまうこと」に対する、恐れもある。
望ましい未来を、知ってしまえば、出会って仕舞えば、心と繋がって仕舞えば、そこに向かって変わらざるを得なくなることを、その否応のなさを、僕はこの4年間、痛いほど味わってきた。
だからこその、防衛。
僕の生きる機能としての輪ゴムの弾性を、信じきれてはいないのだ。
朽ちて散り散りになって切れてしまった体験をした僕には、その痛みが刻まれているのだ。
そして、僕はまだ「社会復帰」というプロセスの、途中なのだ。
働き始めて、どれくらい経てば、何が満たされれば、それが果たされるのかはわからない。
でも、きっと、日々を重ねるうち、体感するのだろう。その確信はあるのだ。
「仕事の中で刻まれてきた痛みを癒すのは、仕事の中で安全を再確認していくプロセスかもしれない。」
12月の宮本コーチの個人セッションで決意した、その「痛みに向かって、安全を再認しにいく」挑戦は、僕にとっては、怪我をこさえることが必定の、どう傷をリカバリーし続けサバイブするかの闘いのように感じている部分があるのだろう。
そういう、パーツがあるのだろう。
関係性の相似形
新しい暮らしに向かう葛藤を、「ロードリームを語る」ことによりテーブルに並べながら、妻も僕も、声をあげて泣いたセッションだった。
詳細は伏せるけれど、その中で出会った僕の言葉が、冒頭の言葉である。
そして、かつて受けた泊まりがけの研修で、最終日に主催に言われた言葉を思い返していた。
「君の周りには、厳しい人がたくさんおられるようだけれど。君に一番厳しいのは、君自身なんじゃないの?」
嗚咽して泣いた。
誰よりも僕を認めていないのは、僕。
「認められたさ」、というのは、僕の人生の大きな大きなテーマなのかもしれない。
誰に?何を?誰の?
それは、僕自身だけの願いではないのかもしれない。
身近な、あるいは遠くの、誰かの、誰か達の、願いをも背負って、願っているのかもしれないのだ。
僕は、認められたかったのかもしれない。
それは、きっと今でも在り続けている。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
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労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
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