見出し画像

「不安」と付き合う。

4月。年度替わり目前の今、子どもの次年度の準備のための紙を眺めながら、「名前を書くものがたくさんあるなぁ」と感じている。


買って終わりではなく、紐をつけたり、名前のサイズ指定があったり。それは、「子どもがこういう風に使うため」という利用シーンと共に表現されていて、彼にとっての「新しい暮らし」に根ざした道具のデザインなのだな、と思う。


さて、明後日からは僕自身もガラリと暮らしが変わるわけだけれど、どれだけ備えられただろう。

持ち物だったり、必要書類だったり、健康診断だったり、手続だったり、といったことは一通り準備が済んだけれど、心構えだったり、知識だったり、そういったものはどこまで準備しようとしても「満たされた」と感じることがない。

それは、現場で求められる水準や課題感覚を、今いまの僕は持ち合わせていないからだ。「これで十分」がわからない。


思えば人生、において、そういったものは結構たくさんあるように思う。どれだけ準備をしても、「満ちた」と感じきれず、不安は湧いてくる。

でも、その不安は、油断を防いでくれる「生きるための機能」なのだろう。不安な気持ちは落ち着かないけれど、まるっきり敵視して無くせばいいというものでもない。



今日はサウナに入りながら、「そういえばスマホを車に置いてきてしまったな」ということが気に掛かり始めた。

施錠はしているし、窓も閉まっている。でも、覗き込めばスマホがそこにあるのはわかる。車上荒らしにとって、どれだけ有用に映るのかはわからないけれど、少なくともスマホがなくなった僕のQOLはとても下がるだろうな、と思った。

「せめて目に見えないところに隠してくればよかった」

とか、

「途中退場して持ってこようか」

とか、

そんな考えが頭に浮かんできたけれど、「この不安感覚は適切なアラート機能が働いているんだな」と考えたり、「こんな往来の多く開けた場所の駐車場で白昼堂々の車上荒らしをするのはハイリスクローリターンだろうな」と思ったりして、結局そのままにして過ごした。


不安な気持ちが湧き起こっている時、落ち着かなさにしんどくなったりもするけれど、「日常において適度な緊張感を持って在る」のは悪いことばかりではない。

自身にとっての快・不快を物差しにして、不快を取り除いていく、というのは、「心地よい時間で人生を満たす」願いに対しては理にかなっているように思うけれど、完全になくなってしまって良いものでも、ないのだろう。


そう思うと、今日は「不安」なアラートな気持ちに対して、「ちゃんと動作してくれてありがとう」みたいな気持ちが浮かんできた。不安を惹起させているパーツも、それで少し安心したのかもしれない。なくなりはしないけれど、不快感は弱まったように感じた。


そういえば最近は、学校だったり、職場だったり、バイト先といった舞台装置・シチュエーションでの夢をよく見る。

愉快なシーンではないことが多くて、孤立していたり、激昂していたり、職場に入るが仕事の中身がわからなかったり、メニューが何一つ思い浮かばなかったり、「なんでシフト入れちゃったんだろう」と後悔したり、といった具合だ。


そんなもんだから、最近は眠りにつくときにちょっと億劫さを感じている。妻にもらった漢方がよく効くので、寝つきも眠りの長さも良くなって入るけれど。「夢を見て疲れる」と感じているからなんだろうな。


起きているだけでなく、眠っている時にまで、「不安センサー」は、アラートを鳴らしている。シーンの映像学習までさせてくる。VRどころか、体感覚まで伴って。リッチなことだ。


何度か「休職からのリハビリ」といった文脈の投稿もしてきた。「はたらく」ことで追ってきた、心身に刻まれた傷は、「はたらく」場所・機会・シーンにおいて安全を感じる、自己効力感を取り戻すプロセスで癒えていくのかもしれない。

そんな話を宮本さんとしたのが去年の12月4日のことだ。

それから4ヶ月。いよいよ、このチャレンジも始まり、「安全を確かめにいく」プロセス、「傷を癒す」プロセスを歩み始める。


もちろん、未経験領域であるし、順風満帆にいかないことの方が多いだろうから、そううまくはいかないだろうけれど。それでも、自身と、家族と、関わっていく人々との「Well-being」を追求して僕がこの先も生きるなら、このプロセスは避け得ないことだな、とも思うのだ。


浮かんでくる思念や、夢は、僕の心身に刻まれた傷が、「もう傷をおいたくないよ」と、過去の痛みに置き去りにされた体験が、叫んでいるのかもしれない。「避けよ」「逃げよ」「注意せよ」と。

それでも、「イマココ」に在る自分の感情としては、8割が「楽しみ」だったりもするのだ。


不安は、なくならない。

でも、その必要も、ないのかもしれない。


「全体性」へと向かう器の整形の手触りを、改めて感じたのだった。



ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。


コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。


コーチングに触れて、ガラリと人生が動いた話はこちら。

「居場所で人を自由にしたい」想いをインタビュー頂いた動画はこちら
🔸サービス紹介

ご自身の価値観を整理したり、居場所を探していくための構想を、「喋りながら考えてみたい」という方向けに、頭の整理にお付き合いするサービスを提供しています。


🔸コーチングセッション
現在はご紹介のみで承っておりますが、ご興味のある方はお問い合わせいただけますと幸いです(公式LINE)。

🔸公式LINE
また、直接まーと喋ってみたいぜ、という方は、気軽にLINEで話しかけてもらえたら嬉しいです(公式LINE)。今は平日10時~14時くらいの時間に話せることが多いです。

「あなたの物語に共に出会う嬉しいその瞬間」を、今から僕も心待ちにしております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?