「僕にだけ都合のいいように世界が回ってくれりゃいいのに」
「いいから寝てろォオオオオ!!!」
と言わんばかりに顔面を掌でひっつかまれて地面に叩きつけられた。
それくらい眠った日だった。
リトリートから戻ってきた翌日の昨日。台風の影響が気になる中、朝から子どもの支度をしてバタバタと幼稚園へ送りに行く。
体調を崩していた妻に薬やら果物やらを届けるべく買い物をし、家に戻り、キウイの皮を向く。ちょっとだけでも仮眠しようとするも、配達員がやってきて起こされる。
若干頭がぽーっとする中、子どもを迎えに行き、昼寝の時間に荒れてしまったであろうオムツの中に溜息をついた。泣きじゃくる子どものオムツを車内で変えて、足早に帰路につく。
帰宅後も子どもが昼寝をしてくれるかも?という淡い期待は打ち砕かれて、元気に走り回る子どもを目で追い、ときに抱きかかえ、少しずつ遊びながら、着実に疲れを感じていった。
夜になり、病院から戻ってきた妻に子どもを頼み、ようやく少し横になることができた。そんな休息を経てそこそこに、急ぎ入浴し、晩御飯を終え、YouTubeの撮影へ。
そして子どもを寝かしつけた後、noteを書いて一日を終えた。
リトリートから戻ってきて、そのまま接続された日常は、いわゆる「仕事」(会社員としての仕事や、コーチとしての仕事)が無い一日だったにもかかわらず、「やること」に溢れていた。
久々に昼寝の無い日々を旅程のなかで過ごし、戻ってきた日々の中でもちょっと躓いた感覚がある。
子どもがいる暮らしにおいて、たとえ保育を任せられる場所があるにせよ、そこに送り届け、迎えに行き、諸々の付随事項や気を揉む事柄に心を砕いている間に、日が暮れていく。
共働きをしながら夫婦二人で子育てをしている世帯のことを考えると、ものすごいことだな…と思う。
休息期間にある今でさえ、僕と妻に加えて両親と妹がいる今の暮らしでさえ、「余裕があって十分に休めて暮らせるな」という感覚はない。
単に僕の状況や、段取りや、余力が…という能力的なお話も多分にあるかもしれないが、なんだか暮らしの単位やシステム、構造において、「違いがあるのではないか…?」と思ってしまった。
そしてこれは、僕や僕を取り巻く我が家の課題に留まらないと思うのだ。
「子供を持つ」という選択をして、諸々の挑戦をしてきて今があるわけだけれど、まだまだ課題に感じることは数多くある。
掲げた旗はこれ一つではなく、僕自身が没頭できる仕事を持続可能にすることや、妻の自己実現、家族それぞれの大切にしたいことなど、両立、鼎立、同時に成立させていくべき変数が多いからこそ、複雑になっている、という見方もできよう。
でも、そんなに大それたことを、多くのことを、求めすぎている、というわけではないと思うのだ。その感覚が世間ずれしているのかもしれないけれど。
でも、僕の命は、僕の命を取り巻く命たちも含めて、「願っていること」に気付いてしまったからには、それを希求してやまないのだと思う。
願いを指針に生きることを選ぶ前の人生を振り返るに、それなりに叶っていたこと、得ていたもの、享受し続けていたものは数多くあるけれど、それでもやっぱり「今」の方が幸福だなと確信している。
その違いは何なのだろう?と思うに、やっぱり自分の命が願うこと、を自覚している感覚があり、これに沿って必要なパズルピースを整え続けている暮らしが在ること。
そして、その願いを知ってくれている人々との関わりの上に、生があることが大きいのかな、と思っている。要するに、居場所が満たされているのだ。
まだまだ挑戦の途上だし、叶えたいことはたくさんあるのだけれど、自分にとって最高の、自分の周囲の人も含めた裁量のポートフォリオを叶える未来を希求して生きる旅路に、「自分の命を使う」意義を見出せている。
こんな風に書きながら、自分の現在地と、その見立て、意義を自認していく過程で思うことは、「あぁやっぱり、コーチとは生き様なんだなぁ」という実感である。
世間の暮らし像とか、関わってきた人たちが進んでいくスピードとか、そこに属していたい気持ち、帰属欲求、色々と思うところはある。だって30年以上その感覚と繋がって生きてきたのだから。そんな簡単にガラリと変わって立ち切れたりはしない。
それでも、「コーチとして生きる」ことを決め、毎日毎日「どう生きるか」に向き合い続け、言葉にし続けてきた先に生きる今、「これでいいのだ」「これがいいのだ」と思える暮らしの手触りがあることに、自己の変容を感ずるのだ。
それは開き直りとか、背伸びした虚勢というわけではなくて、なんだか形がしっくりくるような、据わりがいいような感覚である。
いま、この瞬間、そのときどきの、「あぁ、からだがしんどい」「眠っておきたい」「noteかきたい」「頑張らなくても美味しいご飯が食べたい」みたいな気持ちはあるし、ネガティブ感情が無い暮らしを送っているわけでもない。
むしろ以前よりキレやすく…感情の起伏と、表象される頻度は増えちゃってる気もするし、逆にそれは自分の気持ちと身体表現とが繋がっている前身である気もするし、家族には申し訳ないけど僕の命としては正しい動きになってるような…みたいな葛藤もある。
でも。
「この方向でいいんだよな」、と据わっている自分がいることにも気付いているのだ。
自分にとっての「指針」の正しさを、その感触を日々確かめながら、行きつ戻りつして、航海をし続けている。
これは、そんな航海日誌の一幕なのだ。
そんなわけで大好きな、今日のテーマソングだ。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。
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