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noteを書く、という営み。

1/1から連日noteを書き続けて、そろそろ3週間になる。


以前、3ヶ月弱続けていたときのことを思い返すと、まだ「お役立ちをしよう」というテーマを選んでいたような気がする。

「独立コーチとして語れること」「休職者として語れること」みたいな、自分の属性や体験に着目して、誰かの役に立とうとテーマを選んでいた。


今回はそういったことに縛られていない気がする。

かなり個人的は話の記録が主だったものとなってきたし、長さにも拘らなくなった。

それくらいの方が、今の僕にはいいのかもしれない。

書きやすい環境にあることが、書くことを止めさせないでくれるのなら。


4月からフルタイムで働き始めることになった場合の1日のタイムラインを引いてみた。

家にいる間にnoteを書く時間は、見当たらなかった。


そう思うと、電車通勤の「行き帰り」の電車の中で書くしかない。

必然、スマホで書くことになる。

長々とした文章を書くのはしんどくなるし、図を入れたり見出しを練ったりすることも減るだろう。

それでも、書くことはやめたくないなぁ、と感じる。

「書くことは、考えること」

ジャーナリングをする時間を通じて内省をする機会は持っているのだけれど、「noteに書く」という営みは、やっぱり特別な活動に感じる。

書きながら過去のnoteやツイートが思い浮かび、その関連で思索が拡がる。

手書きをするのでは追いつけない速度で、考えていくことができる。

僕の手元のアナログに閉じずに、たどり着いて下さったかたが反応を残してくれる。


僕の思索が世界に開かれて置いてあること、その交点で何かが生まれること。特別な居場所性を、noteの空間に獲得しているように感じるのだ。


・・・みたいな話は、やっぱりnoteを書きながらならではの考え事だなぁ、と思う。紙のノートに向き合っている時に、この視点には立たない。

自分が向き合う対象、メディアに応じて、自分の思索の切り口や、立ち位置や、向かう関心が変わっていく。

ラジオで喋る時や、Twitterに投稿する時にも、やはり違う質感が宿るのだろう。


来週はあまり予定を詰め込んでいないから、久々にコメダなりに行って思いっきりnoteを書きたい気持ちが湧いている。

本腰を入れて書きたいテーマが、頭の片隅で叫んでいるからだ。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。


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労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


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