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人生を「水」に例えるなら、湖よりも川がいい。僕は◯◯のことがとてもキライです。

約2年半前の2016年1月21日にこんな投稿をしてました。

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どんなにきれいな湖でも、
やがてゴミが溜まり、細菌が繁殖して腐るんです。
その美しさは一時的なんです。

人間も同じ。
慣れた日常を繰り返してるんじゃ腐るんですよ。
頼まれたことやら
自分の出来る範囲のことやら
そんなことだけやっててもさ
1日1日確実に腐るんですよ。

達成感はあるもんだから、
日々退化してることに気がつかず、
日々進化してると錯覚するんです。

そして愚痴を吐きはじめる。
私は悪くない。
私じゃない誰かが悪い。

でも外から見てみるとさ、
腐ってるだけですよ、って。

流れる水になるべきだと思います。
川の水は腐りにくい。
流れる水は腐りにくいんです。

しかもやがて外へと合流し、
大海に出るチャンスも持ってる。

私は湖ですか。
それとも川ですか。

答えはシンプルだと思います。
何としてでも後者になりたくないですか。
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確か東進を辞めてpepy(株)&アクトデザインラボ(株)のインターンを始めたのが2015年の7月頃。この投稿をした時、僕は学校そっちのけでひたすら文章を書いて、新しい職場に興奮して、とにかくたくさん本を読み漁ってました。「辞めた後尻すぼみだな」って言われないようにとにかく速く進化したかった。

松下幸之助さんの「道を開く」を読んで、「湖より川。川の流れる水は決して腐らない」という内容の名言に出会って、感化されてこの投稿をしました。今でも全く同意見です。僕は「慣れ」を避けるように生きてる。今日はとっても感覚的な話です。(いつもそうか)

最初はどんなことだって川のように流れてる。

川の水はキレイです。まるで隠し事を嫌うかのように清く澄んでいて、そこに暮らす生き物の姿を水面からでも観察できる。たとえ同じところにいたとしても日々毎分毎秒、違った水が流れている。滝もあれば岩もあれば音だって違う。常に新鮮。新しいキモチ。これは何か新しいことを自分がはじめたときの感覚にすごく似てます。

川がせき止められて湖ができる

対して湖の水は川が流れ着く先。何かの拍子に流れる水がせき止められ、いつしか長期滞在を始める。美しかった水も一度立ち止まってしまうと、微生物、工場廃棄物、空気酸化、その他様々な影響を一気に受け始め、透明だったその姿に色をつけ始める。

腐っていき、変な匂いがしてきて、生き物にとっても快適ではなくなり、富栄養化なんかも起こしてしまう。

すべては何かがきっかけで川が「せき止め」られたから。

川をせき止めているものの正体は「慣れ」ではないかという仮説

川をせき止める何かこそ、僕は「慣れ」だと思います。慣れるとこれまでの経験でやりくりしようという発想になっていく。「習慣=同じことの繰り返し」となって目的もやり方もかける時間も何もかも同じにしちゃう。

こうなると川の新鮮さが失われ、みるみるうちに見える景色は毎回毎回同じものに。まあこれは仕方ないってなって、コレ以外に楽しいものをみつけようってなって、休日遊ぶことだけが生き甲斐みたいになる。

人生の約半分は仕事(こちらのnoteにグラフ記載)。ここは仕方ないからって思って放置してるその時間、合計するとかなり大きいんです。

川は勝手に流れてくれるもんじゃない

川は勝手に流れてくれるもんじゃない。自分で流さないと。でも湖には勝手になってしまうんですよね。せき止める原因を毎日毎日キレイに取り除いてあげないといけないんです。

僕は「慣れ」のことがとてもキライです。

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