ジョブズが好き、なんて人には会ったことがなかった。

マックが発表されたのは1983年。その頃の古いアップルファンはウォズの天才を愛していたし、マックを開発したチームはよく知られていて、ジョブズが一行もコードを書いていないことは分かっていた。だからジョブズのファンなんてめったにいなかった。

マックの発表から二年もたたないうちにジョブズはアップルをやめた。米MacWorld誌に掲載されたジョブズの写真をスキャンしてアップロードした。キャプションには「We never forget Steve Jobs who brought us Macintosh」って書いた。それから何ヶ月もたって、アメリカのコンピュサーブからダウンロードした写真の中にそれが交じっていた。どこかのだれかが同じことを思って転載して、海をわたってアメリカまで届いて、それをまた太平洋のこっち側まで連れ戻したのだろう。不思議な体験だった。

ジョブズはNeXTを創立して、実に姿のいいワークステーションを世に送り出した。NeXTがキヤノンから販売されることになって、ジョブズが来日した。プレス向けのプレゼンにもぐりこんで、はじめて生のジョブズをみた。
「プレゼンの最中に落ちちゃうかもしれないけど温かい目で見てくれよな」
とか言っていた。ちょっと甲高い声だったな。NeXTは落ちなかった。

1996年末のこと、生まれてはじめて新聞記事を見て声を上げた。ジョブズがアップルに復帰するって書いてあった。そこからアップルは劇的に復活するんだけど、それについてはたくさん本が出ているからここでは書かない。ただメディアから伝わってくるジョブズの印象がなんだか大人な感じになっていた。それでもひどいこと言ってるんだけどね。

2009年『bnkr』に何か書くことになって、ジョブズの小説を書いた。なんでジョブズの小説を書く気になったのか覚えていない。直前まで格闘家の出てくるミステリを書くはずだった。それから半年に一度ジョブズ小説を書き続けている。これからも書くだろう。

必要最小限の機能をミニマルなデザインの中へ完全にパッケージングするってのがジョブズ流。思えばアップル2にスロットをつけるのだって反対したんだから、ずっとブレなかったということかな。

でもこれからアップルは少しずつブレるだろう。ミニマルに徹しきれず、機能拡張の誘惑に勝てず、パッケージングを詰めきる作業にくじけるようになるだろう。でもそうなってもアップルに言及することを止めないでおこう。文句を言って、昔はよかったと言おう。ライフスタイルを変えてしまったマシンのことを年寄りみたいに思い出して、アップルを語ろう。ジョブズと、ウォズの、アップルを。

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