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登戸研究所見学会に行ってきた。

戦時中の科学技術を利用した兵器について、陸軍科学研究所・登戸研究所跡地見学会に参加し、青酸ニトリルや蛇毒などの毒物、レーダー光線や電磁波などの電波兵器、細菌兵器、風船爆弾の資料を実際に見学。さらに、研究所にまつわるお話を研究所調査団の方からたくさん聞かせて頂きました。

明治大学

登戸研究所が置かれていた場所は、現在明治大学のキャンパス内として利用されてました。大学そのものが「研究所」だったとは露ほども思っていなかったのですが、街から隠れるような立地に建っているのはそういうことかと得心しました。
その辺りには、研究所時代からある弥心神社があります。

研究所慰霊碑。弥心神社付近にて。
1988年、登戸研究所に従事していた元研究者によって建てられた。
弥心神社
「八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)」という研究の神が祭神として分祀されている。研究所の殉職者も合祀されていたが、現在は明治大学の収穫祭で利用されている。

キャンパス内には研究所時代の名残りが幾つかあり、その1つが動物慰霊碑。
実験動物を供養する為の慰霊碑ですが、この費用は東i条i英i機が関わっていることから、当時陸軍が登戸研究所にどれだけ期待を寄せていたか分かりますね。

明治大学図書館付近にある消火栓。
陸軍のマークである星型が記されている。
動物慰霊碑
研究所で用いられた実験動物を慰める目的で作られた。

登戸研究所資料展。
ニ号作戦(原i子i核研i究および原i子i核爆i弾開i発研究)と同様に、こちらの研究所も秘密戦を担っていた為、公式記録には殆どありません。
当時携わっていた研究者、技術将校、学生さんもこの件を誰にも話さず、墓場まで持っていくつもりだったそうですが、調査チームの高校生達が、責任者の方を必死に説得してくれたおかげで、お話を聞けるようになったと伺いました。

資料館。
研究第二科が実際に使用していた建物。
風船爆弾。
アメリカ本土を直接攻撃する大陸横断兵器として、開発された。牛痘ウィルスを搭載させ、アメリカの家畜を殺傷する計画だった。
気球の和紙はこんにゃく糊を貼り合わせて作られた。
携わったのは年端もいかない女学生である。
登戸研究所に携わっていた元女学生が保管していた記録書。
携わった方々、一人一人の名前が記載されています。

下の写真は状況申告。
研究に関わる書類の殆どは焼却処分されましたが、偶然残されていた状況申告書が古書店にあったそうです。
この申告書から、正式名称第九研究所あることが判明。

状況申告書。
展示資料
展示資料

当時陸軍の物資輸送で使われていた道。今では学生さんの通学路になっています。
かつて人をころす為の兵器を作っていた場所が、今では人を生かす為の畑になっているのも感慨深いです。
3時間近くゆっくり丁寧に教えて下さりありがとうございます🙇‍♀️

坂道。
ここから偽札を運んでいたとか。
地図も残っています。

資料もたくさん頂きました。
今まで本や資料、インターネットから探る事が出来なかった科i学戦i史でしたが、実際に関わった方々のお話や、実際にいた場所を全て拝見出来て有難かったです。
900ページに及ぶ記録書の重み、全てが貴重な体験でした。
※指を切り、負傷しました。

資料は二次創作小説の後書きに、資料レポとして作成しました。

私が現在調べているニi号作i戦(理i化i学研i究i所)の管轄は陸軍航空本部になり、陸軍兵器行政本部管轄の第九研究所との関わりは殆どありません。
ですが、研究に関わる物資の調達をしていた第八研i究i所所属の山i本i洋一技術i将i校は、両研究所に出入りしていたので、間接的に関わっていたと思われます。 

詳細は登戸研究所の元責任者伴繁雄氏のご本に記されています。

貴重なお話、本当にありがとうございました。

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